オーリアコンブのサティ「パラード」ほかを聴いて思ふ

satie_parade_auriacombe0401917年5月18日、エリック・サティのバレエ「パラード」が、ディアギレフ率いるバレエ・リュスによってパリのシャトレー座にて初演された。このわずか15分ほどの、賑やかで(騒々しい?)軽妙な作品は、ジャン・コクトーが台本を書き、パブロ・ピカソが舞台装置と衣装を担当した何とも豪華な一世一代の舞台であった。

しかしながら、観衆の評価は最低だったよう。

1917年、「パラード」の初日の夜、ぼくは彼(ディアギレフ)を驚かせることができた。
きわめて豪胆なこの人物が、顔面を蒼白にし、観客の激昂に耳を澄ましていた。彼はおびえていた。それもそのはずだった。ピカソとサティとぼくは楽屋にたどりつくこともできなかった。群衆はぼくたちを見つけ、ぼくたちを脅かした。
ジャン・コクトー著/秋山和夫訳「ぼく自身あるいは困難な存在」(筑摩書房)P35

サティにしてみれば、おそらく「してやったり」だったろう。確かに、彼の音楽の受容という意味では少し早過ぎたのかもしれない。
それでも、どこかで聴いた旋律がそこかしこに散りばめられ、実に洒落た、繰り返し耳にしたくなる音楽が鳴り渡る。コクトーが言う如く、彼の性格が音楽の本質に見事に反映されながら実に繊細優美なのである。これは本当にはまる。

自己中心的で残酷で偏執狂な彼は、自分の主義に光彩を添えるものの他には一切耳を傾けなかったし、それを混乱させるものには凄まじい怒りを浴びせかけた、自己中心的、彼は自分の音楽のことしか考えなかったからだ。残酷、彼は自分の音楽を敵から守っていたからだった。偏執狂的、彼は自分の音楽を磨いていたからだった。そして彼の音楽は繊細優美だった。そして彼もまた彼なりの流儀で繊細だったのだ。
~同上書P16

サティ:
・バレエ音楽:「パラード」(現実主義的な1幕のバレエ)
・ジムノペディ第3番(ドビュッシー編)
・ジムノペディ第1番(ドビュッシー編)
・バレエ音楽「ルラーシュ(本日休演)」(2幕の即席バレエ)
ルイ・オーリアコンブ指揮パリ音楽院管弦楽団(1967録音)

このアルバムの極めつけはクロード・ドビュッシー編曲による名曲「ジムノペディ」だろう。オーリアコンブ&パリ音楽院管弦楽団による実に静かで優しく、それでいてあまりに官能的な演奏に心奪われる。何という色彩豊かな、そして繊細で色気のあるアレンジであることか!

バレエ「ルラーシュ」にはドビュッシーが木霊する。サティは実際のところはかなりの影響を受けているのだろうが、認めない。ドビュッシー的旋律をワンポイント借用し、いかにも嘲笑するかの如く・・・。

自己中心的で残酷で偏執狂なサティは一筋縄ではいかない。

 

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