「バーンスタイン最後の演奏会」のブリテンを聴いて思ふ

bernstein_the_final_concert043人間は寂しい生き物だ。それも自ら好んで孤独に陥ろうとするマゾヒスティックな動物だ。進化、進歩だと信じているにもかかわらず、大自然から俯瞰すると退化、退歩であることも多々。素直に心を開くべし。

彼らの同時代の人たちの眼から見て、これらの出来事のうち最も興奮を呼び起こしたのは、それまで耳にしたことのない大陸と夢にさえ見たことのない大洋が発見されたことであったにちがいない。そして、最も不穏であったのは、宗教改革の結果、西欧キリスト教がどうにもならないくらい分裂したことであったろう。
ハンナ・アレント著/志水速雄訳「人間の条件」(ちくま学芸文庫)P404

この世界が二元で成り立つ以上、獲得の背景には喪失があることはどうにもならない。
しかし、本来であれば分裂は避けなければならなかった。

宗教改革は、たしかに、これとはまったく異なる出来事であるが、結局のところ、同じような疎外の現象を私たちに突きつけているのである。ついでにいえば、マックス・ウェーバーはこの疎外現象を「世界内的禁欲主義」の名のもとに新しい資本主義精神の内奥の源泉とさえ見た。
~同上書P407

信仰と思想をごちゃ混ぜにしたことがそもそもの人間の過ちだろう。

青年詩人マルテの、パリ滞在中の様々な想いを記した手記がライナー・マリア・リルケにある。ここにあるのも疎外感だ。

まだ名もない若者よ、君の心に戦慄するような美しい思想がわいたら、君を知っているものがいないことを喜びたまえ。君を軽んじている人々が君の言葉に反対し、君が交わっている友人が君を見かぎり、君の美しい思想のために君を葬ろうとするとしても、このあからさまな危険は君をかためてくれるだけであって、後年の名声が君を分散させ、骨ぬきにする陰険な敵意にくらべると、恐れるにたらないではないか。
ライナー・マリア・リルケ著/望月市恵訳「マルテの手記」(岩波文庫)P83

疎外とは孤高を指すのか・・・、しかし、どうにも天邪鬼な芸術家の本性が垣間見られる。手記は次の言葉で閉じられる。

君が何者であるかをかれらは知らなかった。彼を愛することは非常に困難になっていた。そして、彼はある一人だけが彼を愛することができるのを感じていた。その一人はまだ彼を愛そうとはしなかった。
~同上書P255

与えることなしに与えられることはない。こうやって人間は自ら「疎外感」という幻想を生み出してきたということだろうか。

1875年の今日、プラハにてライナー・マリア・リルケが生れた。
そして、その100年後の1975年の今日、アメリカ合衆国にてハンナ・アレントが逝った。
さらに、翌1976年の今日、オールドバラにてベンジャミン・ブリテンが世を去った。
何とも奇妙な一致。

戦時中に作曲されたブリテンの傑作歌劇「ピーター・グライムズ」の主題も疎外感。主人公の幼少時に受けたトラウマが呼び起こす痛ましい悲劇である。
タングルウッド音楽祭でのバーンスタイン最後のコンサートを久しぶりに聴いた。

バーンスタイン/ファイナル・コンサート
・ブリテン:4つの海への間奏曲作品33a~歌劇「ピーター・グライムズ」
・ベートーヴェン:交響曲第7番イ長調作品92
レナード・バーンスタイン指揮ボストン交響楽団(1990.8.19Live)

「4つの海への間奏曲」(第1曲「夜明け」第2曲「日曜の朝」第3曲「月光」第4曲「嵐」)はちっぽけでせせこましい人間精神に相対する大自然を描いた壮大な音のドラマだ。
とはいえ、果たしてこの濃厚で重い解釈がブリテンの本質を突いているのかどうか、それはわからない。しかしながら、体調不全のなか渾身の棒を振ったレニーの最後の壮絶な記録として記憶されるべき録音であり、その意味ではピーターの悲哀が見事に抉り出された名演であると僕は思う。

人間の内側に在る孤独感、疎外感の根源は「つながり」の不足が原因であることは間違いなかろう。しかしそうやって過ちを繰り返しながら、人間はようやくひとつになる術を発見したようなもの。アレントやブリテン死して40年足らずを経た今だからこそわかること・・・。

 

ブログ・ランキングに参加しています。下のバナーを1クリック応援よろしくお願いいたします。


日記・雑談(50歳代) ブログランキングへ


コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

アレグロ・コン・ブリオをもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む