グレイデン指揮聖ヤコブ室内合唱団のデュリュフレ「レクイエム」ほかを聴いて思ふ

durufle_requiem_graden_st_jacobs042遠くグレゴリオ聖歌の時代を懐かしみ、遥か未来を想いながら今を生きる。
モーリス・デュリュフレを聴いて思った。魂の奥底まで届く素晴らしい音楽。ほとんど「静寂の音」といわんばかりの、あまりの静けさに支配される音調に、聴く者は一切を遮断し、心静かに音楽に対峙せざるを得なくなる。そうしないことにはこの作品の真意は決してわからないゆえ。

第1曲「入祭唱」冒頭の、オルガンを伴奏に男声合唱がグレゴリオ聖歌を歌い、その上に女声のヴォカリーズが重なる瞬間のこの上ない美しさ。続く、第2曲「キリエ」の、祈りに溢れる静けさはある意味フォーレを超える。
第3曲「奉献唱(主イエス・キリスト)」では、沈潜するオルガンの前奏とアルトに、合唱が重なり、音楽は一層白熱する。特に、一旦上昇した後に、バリトン独唱が加わるあたりの意味深さはいかばかりか。
第4曲「サンクトゥス―ベネディクトゥス」前奏の、オルガンの細かい動きに触発され、僕たちの心は愉悦に満たされる。第5曲「主イエスよ」の、チェロのオブリガート付メゾ・ソプラノ独唱のあまりの透明感!そして、第6曲「アニュス・デイ(神の子羊)」及び第7曲「聖体拝領唱(永遠の光)」の神秘性!さらに、第8曲「リベラ・メ(我を許したまえ)」のバス独唱の崇高さと壮大な盛り上がりに心震え、第9曲「楽園へ」のあまりに美しき旋律にひれ伏す想い・・・。

デュリュフレ:
・レクイエム作品9(1947)(混声四部合唱とオルガンのための版)
・無伴奏混声四部合唱のための「グレゴリオ聖歌による4つのモテット」作品10(1960)
・男声合唱とオルガンのためのミサ曲「クム・ユビロ」作品11(1966)
パウラ・ホフマン(メゾ・ソプラノ)
ペーテル・マッテイ(バリトン)
マッティアス・ヴァーゲル(オルガン)
エレメール・ラヴォタ(チェロ)
ゲーリー・グレイデン指揮聖ヤコブ室内合唱団(1992.11.9-12&12.2録音)

沈みゆくオルガンとコーラスに被さるように独唱が慟哭する。
古の旋律を引用し、作曲イディオムそのものは20世紀的な、それもドビュッシーやストラヴィンスキーを通過してきた人でないと理解し難い永遠の浮遊感。これこそデュリュフレの神髄。
形はガブリエル・フォーレのそれをいかにも踏襲するかに見える。しかし、フレーズといいダイナミクスといい、内容は完全に作曲者独自の世界観だ。そう、フォーレが死に対して肯定的であるのに対して、デュリュフレはあくまで悲劇なのである。おそらく、先の大戦への哀悼の意もあろう、それは死に対する恐怖を鎮めんがための安息であり、静けさであるともいえる。すなわち同じ装いを持ちながら、フォーレとデュリュフレではそもそもの発想、出所が正反対だということだ。

ミサ曲「クム・ユビロ」もデュリュフレならではの哀しみの世界。「グローリア」のオルガン前奏の劇性は聴く者の目覚めを助長する。「サンクトゥス」の天にも昇る恍惚の響きと「アニュス・デイ」のオルガンによる息の長い静謐で敬虔な祈りの旋律に思わず感動・・・。

何より合唱の奥深さ、そして人間を感じさせない独唱の自然さは、グレイデンほか演奏者の背面にある信仰心の賜物だと想像する。

 

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2 COMMENTS

畑山千恵子

一時期、グレゴリオ聖歌がブームになったことがありましたね。今、落ち着いたというところですね。

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