ヴォルフガング・サヴァリッシュの指揮するブラームスのホ短調交響曲終楽章パッサカリアを聴いて思った。これは、魂の闘争の音楽だと。
ブラームス自身はおそらくそんなつもりはない。この人はいつも自分の本性と闘って挫折していた。思ってもみないことをついしてしまったり、人を傷つけてしまったり・・・。本当は優しさと慈愛に溢れる人間なのに。そういう2つの側面が葛藤を起こしながら、4つ目の交響曲をしてようやく解決の兆しが見えた、そんな印象。ここには革新と確信がある。何と自信に満ちた音楽であることか。
結果的にだが、彼が5番目の交響曲を書けなかった理由がわからなくもない。
流れるような自然体の音楽でありながら、ブラームスの内面に宿る情熱的な心情が見事に結実した作品。古いバッハの時代の形を借り、複雑にして簡明な変奏曲に、もう何十年も愛聴している音楽なのに、まるでたった今この場で生まれた音楽であろうかのような錯覚が起きる。名演だ。
ブラームス:
・交響曲第4番ホ短調作品98(1989録音)
・運命の歌作品54(1991録音)
・大学祝典序曲作品80(1991録音)
アンブロジアン・シンガーズ
ヴォルフガング・サヴァリッシュ指揮ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
終楽章アレグロ・エネルジーコ・エ・パッショナート第24変奏以降の、まさに楽想記号通りの怒涛の表現に打ちのめされる。サヴァリッシュのブラームスは素晴らしい。
続いてフリードリヒ・ヘルダーリンの詩に基づく「運命の歌」作品54。
ブラームスの合唱付き作品はどれも重厚でありながら祈るような透明さに長けたものだが、ことによると「ドイツ・レクイエム」以上の素晴らしさかも。簡潔でありながら音楽の内容は実に深く、堅実なサヴァリッシュの棒により一層ブラームスらしさが表出する。特に、合唱が管弦楽とともにフォルテで弾ける箇所の、いかにもブラームス的内燃と爆発。
運命を背負わずに、眠れる
赤子のように、天上の精霊たちは息づく。
だが、私たちには、
憩いの場所は与えられていない、
衰えるのだ、落ちるのだ、
悩みを追う人間は、
でたらめに
時から時へと、
水が断崖から
断崖へと投げられ、
幾年も不確かさのなかに落ちていくように。
(石田一志訳)
厭世的な言葉は、逆に天上への憧憬を後押しする。そして、ブラームスの音楽そのものが天上的であり、されを具現化するサヴァリッシュ。
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サヴァリッシュのブラームスでは、ヴィーン交響楽団を指揮した全集があります。ドイツ・レクイエムも聴きものです。
>畑山千恵子様
「ドイツ・レクイエム」はバイエルン放送響のものを愛聴しております。名演奏ですね。