ハンガリー弦楽四重奏団のバルトーク(MGX7026)

先日、東京クヮルテットのファイナル・ツアーを聴いて、音楽を理解する上で実演に触れることは「絶対」だと再確信した。特に、楽器の動き、旋律から旋律への楽器の受け渡し、あるいはどの楽器が旋律を担当し、伴奏を受け持つのか・・・、そのあたりは録音を聴いているだけでは残念ながら非常にわかりにくい。たとえそれが映像であったとしても、やはり「缶詰」では理解に限界がある。

ゾルターン・コダーイの四重奏曲にも実は恋をした。2つの楽章で構成されるこの音楽は4つの楽器が完全に独立しながら、しかも密接なつながりを持ち続け、一つの小宇宙として表現される奥深さがある。100年ほど前の傑作であるベートーヴェンのいわば導入曲としての役割を十分に果たす。東京クヮルテットが「今回主催者に無理を言って演目に加えた」意味がよくわかるというもの。ベートーヴェンの16の名作を受け継いだバルトークのそれに負けず劣らず、楽聖の衣鉢を継ぐ隠れた名品。

コダーイの楽器であるチェロが活躍する。バルトークともども収集したハンガリー民謡も顔を出す。第一次大戦中の作品であるにもかかわらず、戦争の臭いは一切感じさせず、20世紀初頭の小難しい無調の世界にも至らず、真に美しく安定感のある音楽。

バルトークの第2番とほぼ同時期に生み出され、2ヶ月を隔てて同じ四重奏団(ヴァルトバウエル弦楽四重奏団)によって初演されたということ自体がそもそも興味深い。しかし、残念ながらこの曲はバルトークの影に隠れて久しい。そのお蔭で僕も発見が随分遅れた・・・。コダーイは見逃せない作曲家だ。もっともっと深掘りすべき・・・。

ところで、そうはいっても今夜はバルトークを聴こう(笑)。
初夏の夕べの心地良い涼しさにとても似合うから(本当のところはコダーイの四重奏曲の音盤を持っていない・・・)。

バルトーク:
・弦楽四重奏曲第3番(1927)
・弦楽四重奏曲第4番(1928)
ハンガリー弦楽四重奏団(1961.8.28-9.1録音)
ゾルターン・セーケイ(第1ヴァイオリン)
ミヒャエル・カットナー(第2ヴァイオリン)
デーネシュ・コロムサイ(ヴィオラ)
ガブリエル・マジャール(チェロ)

僕が触れた初めてのバルトークの音盤。アナログ・レコードなり。
あまりに急進的な第3番は当時よくわからなかった。何だか「すごい音楽なんだ」ということくらいで・・・。でも、ここには西洋クラシック音楽が行き着いたある種の答があるように僕は思う。ベートーヴェンが7つのパートで作り上げた小宇宙(作品131)、あるいはシベリウスがそれ以降創造しようにもそれ以上書きようがなかった第7交響曲。いずれも「ひとつである」ことの象徴。
しかし、このレコードの白眉は第4番の方。何なんだ、この暗澹たる淵は!!その一方で見事な調和を提示する。バルトーク十八番の第3楽章を中心にしたシンメトリー構成。そして、重音奏法、フラジオレット、トレモロ、グリッサンドなどの特殊奏法の多用。これらだけで第4番(いや、バルトークの四重奏曲)はやっぱり「観る」ための音楽なんだと確信できる。

天上天下唯我独尊的境地・・・。
この後、バルトークは2つの四重奏曲をまだまだ書き上げる。信じられぬ。
そして、ハンガリー弦楽四重奏団の演奏は温かい。同郷の天才の音楽に途轍もない愛情が注がれる。

外は雨の音。4つの弦楽器の紡ぎ出す音楽が心身に染みる。
4声というのは「安定感」抜群だ。
素晴らしい音楽を聴ける今日という1日にまた感謝。

 

 


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