音楽は一切を溶かし込む水のような媒体である。だから音楽の古典などという言い方をするのは、なんとも愚かしいことだ。ゲーテやレッシングのスタイルはうまくすれば模倣できなくもないが、バッハを真似ることなど不可能である。バッハやモーツァルトの個性は音楽のなかに溶け込んでいるのだから。
1871年5月25日木曜日
~三光長治・池上純一・池上弘子訳「コジマの日記2」(東海大学出版会)P440
バッハの「平均律」を旧約聖書と表現したハンス・フォン・ビューローを暗に否定するかのような言。ワーグナーは実にうまいことを言う。
「平均律クラヴィーア曲集」は弟子たちの教育用に書かれたものだといわれるが、芸術品としても一級だというのは誰しもが認めるところ。音楽が進むにつれ、どこか胸をかきむしられるほどの哀しみを感じるのは、同時期に妻マリア・バルバラを亡くしたことによるのかどうなのか。スヴャトスラフ・リヒテルの有名なスタジオ録音を聴いて、このピアニストのバッハへの異常な崇敬の念を感じ、バッハの音楽の偉大さをあらためて讃えた。
バッハは小川(Bach)ではなく大海(Meer)という名であるべきだった。
楽聖ベートーヴェンが言ったとか言わないとか・・・。ことの真偽はともかくとして、この言葉の意味は大きい。バッハ以前の音楽はバッハのためにあり、バッハ以降の音楽もバッハを規範とする。
ズヴィーテン男爵の下でバッハの多くの作品を知り、その対位法様式を自分の作品に取り込んだヨーゼフ・ハイドン。「平均律クラヴィーア曲集」の中の5つのフーガを弦楽四重奏曲に編曲したヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト。そして、少年時代に「平均律」を学んでからバッハに深い敬意を払うようになったというベートーヴェン。バッハなくしてこれら天才たちの創造物の存在はなかった。
稀代の天才たちが尊敬したバッハですら、その後しばらくは忘れられた存在になるのだが、シューマンやメンデルスゾーンの尽力により復興、1850年には「バッハ協会」が設立される。そんなバッハ・ルネサンスの中、すべての長短調を用いたショパンの「前奏曲集」は当然古の天才を模範とし、ライバル、リストも敬意を表し、バッハのオルガン曲をピアノ用に編曲した。
また、師シューマンの志を継いで「旧バッハ全集」の刊行に協力したブラームスは、第4交響曲の終楽章パッサカリアの主題をバッハのカンタータ「主よ、われ汝を求む」BWV150から引用。そう、すべてはバッハに通ずるのである。
J.S.バッハ:平均律クラヴィーア曲集第1巻BWV846-869
スヴャトスラフ・リヒテル(ピアノ)(1970.7.21-31録音)
この名盤について云々するのは不要。どこをどう切り取っても瑞々しいバッハ。何という「中庸」!録音から半世紀近くの時を経てもリヒテルの演奏する「平均律」の見事な美しさに感無量。特に、短調作品における底なしの透明感と音楽の有機性(使用ピアノはベーゼンドルファー)。まるで生きているよう。
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[…] 。 がしかし、歴史が証明するのは時代の先後ろでなく、そこに真実があるか否か。 バッハの音楽はやっぱり新しい。そして、ワーグナーが言うように彼の個性は音楽に溶け込んでいる。 […]