パウル・ユオンのピアノ四重奏曲を聴いて思ふ

paul_juon_piano_quartet_triendl驟雨とともに深まりゆく秋の気配。
日没が少しずつ早まる黄昏時にブラームスを想う。あるいは、酷寒の大自然を髣髴とさせるロシアの偉大な芸術家の作品か・・・。音楽には太陽の、そして月の、さらにまた大自然の運行に合わせるかの如くその「波」までもが克明に刻まれる。

ヨハネス・ブラームスの内なる濃厚なパッションを、そうしてピョートル・チャイコフスキーの壮大な憂愁を・・・、偉大な先人たちの作品の内側に在る諸々のものを抉り出して映したかのような美しくも浪漫的なフレーズと波長に満ちるパウル・ユオン。未知の作曲家のいまだ聴かぬ作品は感性の深奥を見事に刺激する。
煌めくピアニズムといぶし銀の弦楽器の錯綜する調べ。「ラプソディ」という名の第1番ヘ長調は、言葉にするなら執拗なロマンティシズムか。そして、いつまでも、どこまでも終わることのない寛容。ずっと浸っていたいくらい。

僕は時折発掘のためにタワーレコードのセール籠を漁る。パウル・ユオンは先日の収穫。
人も音楽も大事なのは出逢い。良き事もあれば悪しき事もある。すべては贈りもの。犬も歩けば棒に当たるのだ。

ユオン:
・ピアノ四重奏曲第2番ト長調作品50(1912年)
・ピアノ四重奏曲第1番ヘ長調作品37「ラプソディ」(1907年)
オリヴァー・トリエンドル(ピアノ)
ダニエル・ゲーデ(ヴァイオリン)
ハリオルフ・シュリヒティヒ(ヴィオラ)
ペーター・ブルンス(チェロ)(2006.12.14-16録音)

ト長調作品50の第3楽章アダージョ・ラメントーソこそ、チャイコフスキーに、いや、ラフマニノフにも通じる慟哭だ。いわばピアノを伴奏に、弦楽器が奏でる美しく哀しい旋律に心臓が張り裂けそうな思い。ピアノが主体になる中間部は一種希望の光。ベートーヴェンの「田園」交響曲第1楽章第1主題にも似た旋律と、チャイコフスキーの「偉大なる芸術家の思い出」の主題が入り混じるような明暗の対比に膝を打つ。終楽章アレグロ・ノン・トロッポにおいてすべてが活発に浄められてゆく様を描くようだが、実に暗澹たる曲調に支配される。100余年前の欧州世界の混沌を予感するかのように・・・。

1909年に女性初、そしてスウェーデン人初となるノーベル文学賞を受賞したセルマ・ラーゲルレーヴの著した「イェスタ・ベルリングの物語」(1891年)にインスパイアされ生まれたという「ラプソディ」四重奏曲。20世紀に在りながら、何とも濃密にうねる音調にシンパシーを覚える。ブラームス風の分厚い音響といえばそう。しかし、ブラームスにはないどこか飄々としていながら可憐なメロディに僕は惹かれる。特に、作品の半分を占める終楽章ソステヌートに流れるものはどちらかというとチャイコフスキー的な浪漫。心に染み入るのである。

巷では二番煎じだという批判もある。
しかしながら、僕は大手を振ってパウル・ユオンを擁護する。
20世紀前半の、どちらかというとモダニズム、前衛が支配しはじめていた時期に、これほどにも濃密で心優しい音楽を書けたその勇気とセンスに拍手を送る。

 

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2 COMMENTS

畑山千恵子

こういう珍しい作品を聴くことによって、音楽史がわかってくることもあります。今までの音楽史のあり方が大作曲家中心主義でしたから、こうしたものが出てくることによって、新たな面が出てきますね。

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