あっさりと速めのテンポで始まった第1楽章主部の悲痛な祈りの音楽を聴いて、アレクサンドル・ラザレフはこの壮絶な人間ドラマを、もっと客観的で冷静な(ある意味夢見心地の)、一人の作曲家の心象風景としてとらえているのだろうかと想像した。鳥が囀り、宇宙が鳴動し、光と闇が錯綜する。そう、静かに始まり静かに終わりを遂げるこの作品はむしろ「自然讃歌」だ。
地表で蠢く音楽が、徐々に高揚し、全管弦楽によって大空で爆発する場面においてもドライヴはあくまで8割程度に抑えられ、作曲家の苦悩の内面を丁寧に表現する。
日本フィルハーモニーの個々の奏者の、ショスタコーヴィチへの愛情、あるいは深い思いがそれぞれの見事な独奏となって表れる。特に後半、弦のトレモロをベースに歌われるイングリッシュ・ホルンの哀感を帯びた調べが今でも頭の中に残るほど。
また、第2楽章アレグレットの強烈なパッションを孕んだ音楽を聴いて、抑圧されし作曲家の魂はいよいよ夢から解き放たれたかのように思われた。何より徐々に沈みゆくコーダの最後の突然の強奏が大見得を切るような形で弾けるのを見て、前半2つの楽章がいわば作曲者の夢想であり、アタッカで奏される後半3つの楽章がそれに対する現実の解答であるかのように感じられた。
二枚舌ショスタコーヴィチの内側の2つの世界がこの交響曲に見事に表現されている。
あの、魑魅魍魎、阿鼻叫喚の代名詞ともいえる第3楽章アレグロ・ノン・トロッポも本当に美しく歌われていた。そこには希望の光が見え、全開のオーケストラも決して無機的に陥らず、聴く者に感銘を与えてくれた。中間のトランペットの行軍の歌は猛々しく、朗々として実に巧かった。そして、第4楽章ラルゴ直前の爆発に、ただ喧しいだけのものでなく、作曲者の意味深い慟哭を思った。それにしても静謐なこのパッサカリアの美しさよ。
さらには、終楽章に引き継がれる冒頭のクラリネットによる主題の仄々とした音調に心動かされ、その旋律が終結部に断片的に現れる、静寂の中の静寂を表わすようなあの何とも言えない侘び寂にラザレフのショスタコーヴィチへの一筋ならぬ思いを痛感した。最後の音が消えゆく余韻に浸る10数秒の沈黙の心地良さ。本当に素晴らしかった。
日本フィルハーモニー交響楽団
第671回東京定期演奏会
2015円6月13日(土)14時開演
サントリーホール
堀米ゆず子(ヴァイオリン)
扇谷泰明(コンサートマスター)
菊地知也(ソロ・チェロ)
アレクサンドル・ラザレフ指揮日本フィルハーモニー交響楽団
・ブルッフ:ヴァイオリン協奏曲第1番ト短調作品26
~アンコール
・J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第1番ト短調BWV1001~アダージョ
休憩
・ショスタコーヴィチ:交響曲第8番ハ短調作品65
とはいえ、より素晴らしかったのは堀米ゆず子のヴァイオリン独奏!!言葉にならない美しさ。中音域豊かでふくよかな音色、そしていかにも情熱的でありながら冷静な音運び。おそらくそれは、かつて初めてテレビで拝見した彼女の(エリーザベト王妃国際音楽コンクール優勝直後の凱旋コンサートか何かのシーンだったと記憶する)演奏の根本と何ら変わるものでない(ように僕は思う)。あれからすでに35年が経過するが、円熟の境地に至る彼女の実演を体感できた喜びと言ったら・・・。大袈裟かもしれないが、それくらいに感動を喚起する音楽に溢れていた。
堀米の弾くブルッフの旋律は、第1楽章冒頭の独奏の出から夢見る少女の初恋の如く甘く切ない。第2楽章アダージョの哀愁帯びる主題の濃厚な美しさと終楽章アレグロ・エネルギコの熱を帯びた音楽に(おそらく)誰もが悩殺状態。その音楽に打ちのめされる聴衆の熱狂に同意。
それにまた、アンコールで奏されたバッハの無伴奏ソナタから「アダージョ」の男性のような骨太の充実した響きと、女性のような可憐で愛らしい調子のメリハリというか混合というか・・・、美しかった。
ちなみに、終演後、マエストロ・ラザレフによるアフタートークがあったが、所用のため残念にもお暇。聴いてみたかった。
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