アマデウス四重奏団のハイドン「ロプコヴィッツ四重奏曲」作品77を聴いて思ふ

haydn_amadeus_qローマは一日にしてならず。
いかなる天才も努力と積み重ねなくして存在せず。

青年ベートーヴェンがおそらく寸暇を惜しんで推敲したであろう弦楽四重奏曲集作品18は、ハイドンやモーツァルトの影響下にあるとはいえ、いかにもベートーヴェンらしい革新と、どちらかというと「負」を克服しようとするエネルギーに溢れるが、どこか冗長で(?)まだまだ無駄が多いと感じられる作品である(と僕は思う)。
これらはパトロンであったフランツ・ヨーゼフ・マクシミリアン・ロプコヴィッツ侯爵に献呈されている。
一方、同時期に同侯爵より依頼を受け、当初の計画よりも少ない数ながら充実した2つの作品を世に送り出した晩年のハイドンの弦楽四重奏曲集作品77に見る老練の明朗さと簡潔さ。
ト長調作品77-1第1楽章アレグロ・モデラート第1主題の喜びと第2主題の愛らしさ。ここには、それこそ人生のすべてを体験した人でないとわかり得ない苦悩の裏側にある「生きることの価値」が反映される。また、第2楽章アダージョの、どこか哀しみを湛えた深い祈りの境地。マーティン・ロヴェットの重厚なチェロをベースに奏でられるノーバート・ブレイニンの嘆きのヴァイオリン。第3楽章メヌエットも晩年の大作曲家ならではの透明感と躍動。このあたりはアマデウス四重奏団のアンサンブルの素晴らしさも見逃せまい。
そして、終楽章プレストは解放であり、昇華だ。ハイドンは早くもこれによって遺書代わりにしようとしたのかと思うほど。

ハイドン:
・弦楽四重奏曲第81番ト長調作品77-1Hob.III:81(1964.3録音)
・弦楽四重奏曲第82番ヘ長調作品77-2Hob.III:82(1965.3録音)
・弦楽四重奏曲第83番変ロ長調作品103Hob.III:83(1973.3録音)
アマデウス四重奏団
ノーバート・ブレイニン(第1ヴァイオリン)
ジークムント・ニッセル(第2ヴァイオリン)
ペーター・シドロフ(ヴィオラ)
マーティン・ロヴェット(チェロ)

ヘ長調作品77-2は、一層明快。第1楽章アレグロ・モデラートの流れるような旋律の麗しさと堂々たる構成美に感動。第2楽章メヌエットの高貴な円舞。それにしてもこの純白さはいかばかりか!
そして、第3楽章アンダンテの主題と変奏に見る熟練の技。有名な「皇帝讃歌」に優るとも劣らぬ旋律美とアンサンブルの妙。ハイドンの天才を思い、アマデウス四重奏団の技術の確かさと音楽性の豊かさをあらためて知る。また、終楽章ヴィヴァーチェ・アッサイの、生命力溢れる楽想にハイドンがそれまでの作曲家人生のすべてを賭けた勢いと意気込みを思う。
続く変ロ長調作品103の、未完ではあるもののこれまた至高のアンダンテ・グラツィオーソのあまりの美しさに涙。中間部の第1ヴァイオリンによる速いパッセージに陶然。

果たしてハイドンはベートーヴェンを嫉妬したのか?
あるいは、かつて弟子でもあったベートーヴェンの才能をあえて買って自身はこれ以上の作品を書く必要はないと判断したのか?
重厚さと勢いという意味では青年ベートーヴェン、しかし、透明感と無駄のなさという意味では老ハイドン。いずれも捨て難い傑作。ロプコヴィッツ侯爵の一大事業。

「甘き憂い」
憂いよ、去れ!―ああ、されど、死すべき人間なれば、
生ある限り、憂いは去らず。
避け難きものとあらば、来たれ、愛の憂いよ、
他の憂いを追いて、なんじひとりわが胸を領せよ!
高橋健二訳「ゲーテ詩集」(新潮文庫)P149-150

人は誰しも内に矛盾を抱えるもの。
同じ不安であるなら愛の憂いが欲しいとゲーテは語る。
「甘き憂い」はまるでハイドンの作品にインスパイアされたかの如く。

 

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