N響第1823回定期 デュトワ指揮R.シュトラウス:楽劇「サロメ」(演奏会形式)

strauss_salome_dutoit_nhk_20151204392要求されれば応えねばなるまい。
応えられればまた新たな要求を受けるということ。エゴにはエゴで。まさにカルマの法則。

「目には目を」という言葉がある。人は何と愚かなのだろう。それこそ終わりのないぶつかり合い。今の世にも起こる争いは太古からのそれと相似。愛が裏返り憎悪となり、終わりのない復讐の連鎖が始まる。
戦ってはいけない。貪ることは身の破滅を招く。挙句、強者が弱者をねじ伏せる。
戦争の多かったかつては男性性が強者であり、女性性が弱者だったのだろうか。
少なくとも覚醒しつつある今の世は違うのに・・・。すべてがひとつであろうとせん・・・。

リヒャルト・シュトラウスの色彩的管弦楽の大音響に酔いしれた。
冒頭からホールが揺れた。100年以上も前の欧州で創出された奇蹟。今日の舞台には作曲者シュトラウスの亡霊(魂)が潜んでいた。あの時代によくもこんな音楽を書けたものだ。参った。痺れた。

NHK交響楽団第1823回定期演奏会
2015年12月4日(金)19時開演
NHKホール
・リヒャルト・シュトラウス:楽劇「サロメ」(全1幕・演奏会形式)
キム・ベグリー(ヘロデ)
ジェーン・ヘンシェル(ヘロディアス)
グン・ブリット・バークミン(サロメ)
エギルス・シリンス(ヨカナーン)
望月哲也(ナラボート)
中島郁子(ヘロディアスの小姓/奴隷)
大野光彦(5人のユダヤ人1)
村上公太(5人のユダヤ人2)
与儀巧(5人のユダヤ人3)
加茂下稔(5人のユダヤ人4)
畠山茂(5人のユダヤ人5)
駒田敏章(2人のナザレ人1)
秋谷直之(2人のナザレ人2)
井上雅人(2人の兵士1)
斉木健詞(2人の兵士2)
岡昭宏(カッパドキア人)
伊藤亮太郎(コンサートマスター)
シャルル・デュトワ指揮NHK交響楽団

ヨカナーン:
さがれ、バビロンの娘よ!女のために、災厄がこの世に来たのだ!私に話しかけるな。聞きたくもない!私が聞くのは、わが主なる神のみ声だけ。
サロメ:
お前のからだは君がわるいわ。まるで病人のようなからだ。まむしのはいこんだ泥壁か、さそりの巣くった泥壁のよう。

第3場、サロメとヨカナーンの対話の壮絶なやりとりに感銘を受ける。デュトワの棒がうなる。ここにあるのは熱狂だ。そして、ヨカナーンが再び井戸に降りていくシーンのオーケストラの強烈な響きに感動し、有機的な音楽の充実に心震えた。静けさに満ちる木管の美しさにも涙。
また、第4場の「7枚のヴェールの踊り」は今宵の見せ場の一つ。サロメの艶やかな舞踊のシーンがオーケストラだけで何と色香たっぷりに表現されたことか!!素晴らしかった。

ヨカナーンの生首を求めたサロメに対し、ヘロデは恐れ戦き代わりの物を提示する。しかし、真の愛を欲するサロメは物ではつられないのだ。ここから最後までは息もつかせぬ緊張感溢れる舞台。サロメが絶叫し、ヘロディアスが同調する。それに反し、ヘロデが懇願し、最後は吼えるのだ。オーケストラの咆哮も凄まじい。
これは相対するものの破滅の物語だ。
そしてまた、現代のテロや戦争に対しての警告の物語だ。

サロメ:
ああ!なぜ私を見なかったの、ヨカナーン?お前は目に、自分の神を見ようとする者の目かくしをした。いいわ!お前は自分の神を見た、ヨカナーン、でも、この私をいちども見なかったのね。もし私を見ていたら、私を愛したはずよ!私はお前の美しさに渇れている。お前のからだに飢えている。酒もりんごも、私の欲情をしずめることはできないわ。私はどうしたらいいの、ヨカナーン?高潮も、津波も、この欲望の火を消せない。

見事だった。
素晴らしかった。
リヒャルト・シュトラウスは天才だ。
シャルル・デュトワも天才だ。

※太字対訳:内垣啓一

 

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2 COMMENTS

雅之

性衝動や暴力は人間の本能で、人間が人間である以上、無くなることはないと思います。
テロ、戦争等は、そのフラクタルな姿なんでしょうね。

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岡本 浩和

>雅之様
おっしゃるように本能でなくなることはないのでしょうが、気づくことが重要だと思います。
いつまでも他責にしないことが重要だと。

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