ジュリーニ指揮フィルハーモニア管のモーツァルトK.626(1989.4録音)を聴いて思ふ

mozart_reqiem_giulini_po_1989393ただひたすら慈しみの祈りを捧げたい、そんな想い。
未完ながら最後の「レクイエム」ニ短調の純白の響き。補完者の意図や方法、あるいはそれを再現する指揮者の解釈によってこれほど印象の異なる作品はない。
無邪気ながら人一倍気を遣ったモーツァルトは「その時」何を思ったのか?

彼の(残された)、妻コンスタンツェ宛最後の手紙を読むと、いわゆる日常が普通に流れていたことがわかる。死の影どころか、悲愴な感情、苦悩すらもそこからは窺い得ない。本人の意志とは別に、死とは突然に訪れるものなんだ。

昨日はペルヒトルツドルフへの旅行のことで、一日つぶされ、そのためお前に手紙が書けなかった。しかし、お前が二日もぼくに書いてくれないのは、許せないね。今日は間違いなくお前の便りを受け取りたいものだ。そして明日は直接会って話をし、心をこめてキッスをしよう。ご機嫌よう、
いつまでもお前のモーツァルト

ゾフィーにぼくから千度もキッスを。某とは、お前が好きなことをするがいい。さようなら。
(1791年10月15日付、モーツァルトからコンスタンツェ宛手紙)
柴田治三郎編訳「モーツァルトの手紙(下)―その生涯のロマン」(岩波文庫)P213-214

音楽にただただ無心に耳を傾ける。
この時期、モーツァルトの創造力は凡人の及びもつかないところまで上り詰めていたのだろう。少なくとも彼が自力で書き上げた箇所の音楽は、その流れに触れるだけで思わず胸が締めつけられる。

・モーツァルト:レクイエムニ短調K.626(ジュスマイヤー版)
リン・ドーソン(ソプラノ)
ヤルド・ファン・ネス(コントラルト)
キース・ルイス(テノール)
サイモン・エステス(バス)
フィルハーモニア合唱団
カルロ・マリア・ジュリーニ指揮フィルハーモニア管弦楽団(1989.4.19録音)

冒頭、入祭唱からジュリーニは、あくまでもモーツァルトの日常を表現しようとしたかのよう。柔らかで円やかで、この厳しい音楽が慈愛溢れる生を謳歌する音楽のように聴こえるのである。
続唱「怒りの日」すら激性が融け、実に大らかで優しい響き。
しかし、「レックス・トレメンデ」での雄叫びの如くの合唱に震え、同時に合唱の囁きのあまりの静けさに感極まる。
引き摺る「ラクリモーサ(涙の日)」も決して粘り過ぎず、美しい。
また、奉献文から「オスティアス」合唱の繊細さ!
さらに、「サンクトゥス」における合唱の解放!
この録音は、総じて合唱の夢見るような歌が絶美。

人生とは、自分の使命に関する真実をますます多く把握し、ますますその真実に従って生きることである。
(12月5日)
トルストイ/北御門二郎訳「文読む月日(下)」(ちくま文庫)P359

ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト224回目の命日に。

 

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2 COMMENTS

雅之

>本人の意志とは別に、死とは突然に訪れるものなんだ。

同感です。特にモツレクの場合、本人が自らのの死を意識して書いたというよりは、
まるで「突然中断となったブログ」
http://blog.goo.ne.jp/narkejp/e/81286f91c2047abc1d0cd8c5ae0bdcf2
のようです。他人からすれば謎が多い点でも・・・。

病気以外に、交通事故、震災、テロ・・・、
現代も、生と死がすぐ隣り合わせなのは何ら変わりませんよね。

露とおち 露と消えにし わが身かな 音楽のことも 夢のまた夢・・・・。

ところで、指揮者は、ジュリーニに限らず、オケ(や合唱)との相性で評価が激変しますよね。
その点、日本では、とかくシカゴSOやロスPOの録音ばかりで評価されがちなジュリーニはかわいそうです。

先日、私が秘蔵しているエアチェック・カセットと同じ、小澤&シュターツカペレ・ドレスデンの超名演ライヴ録音がYouTubeにアップされていてびっくりしました。
https://www.youtube.com/watch?v=Pi1co6du3n8&list=RDPi1co6du3n8#t=2679
こんなのナマで聴いたら、腰を抜かすほど感動したと思います(試しに終楽章だけでも聞いてみてください)。小澤についても酷評ばかりされていますが、こういう往年の実演の名演奏で再評価してあげて欲しいものです。

ジュリーニについては、バイエルンRSOなどとの晩年の名演奏を、本当にナマで聴いてみたかったですね。

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岡本 浩和

>雅之様
「突然中断のブログ」のようというのは的を射た表現です。
そう言われるとしばらく更新されないブログなどをみると、何かあったのかも?などとつい考えてしまいます。
命は本当にわかりません。

ジュリーニについては同感です。82年を最後に結局来日がなかったですからね。
晩年の名演聴きたかったです。
それとご紹介いただいた小澤&SKDですが、驚きました!!
まさにこんなのを生で聴いていたら失禁しそうです。(笑)
こういうのをきちんとエアチェックされ、しかもそれをン十年と保管されている雅之さんを尊敬します。
ありがとうございます。

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