中国の不思議な役人

bartok_kocsis_hauser.jpg学生時代、社会学という比較的新しい分野の学問を専攻していたゆえ、振り返ってみると役に立つ書籍を多く読まされたように思う。その頃は、まさか自分自身が人間教育を生業にするとは夢にも思っていなかったので、もちろん真面目に勉強などしたことがなかったし、深く追求して研究するなどということもおおよそなかった。今になってみれば、当時もっと真剣に勉強しておけば良かったと後悔の念が絶えないが、その辺りは「若気の至り」ということで、自分自身を許すしかないし、今からでも遅くないと考え直して日々勉強に勤しんでいる(笑)。
そういうわけで、特に、独立してからは、提供する研修により一層磨きをかけようといろいろな分野に興味を持ち、体感できるものはなるべく体感しようと努力し、薦められた本はできるだけしっかり読もうと思うようにもなった。ちょっと古いが(といっても1年前の発刊)、「シンクロニシティ~未来をつくるリーダーシップ」(ジョセフ・ジャウォースキー著)という本を薦められたので、昨日から読み始めている。まだまだ導入部に過ぎないので言及は避けるが、よくある一般的な「リーダーシップ論」ではなさそうなのが良い。その中で、かつて学生の頃に必要に迫られ(といってもレポートを提出しなければいけなかったとか理由だが)読んだ古典的名著エーリヒ・フロムの「愛するということ」(紀伊国屋書店)が、おそらく著者の人生を変えたたくさんある書籍のうちの一冊ということで紹介されていた。

成熟した愛とは、誠実さと個性を大切にするという条件のもとで結びついている。
そして、与えるべき愛の要素は、
心遣い:愛する人の人生と成長に対して積極的に気配りすること
責任:身体的な欲求はもとより精神的な必要性に対しても配慮すること
尊敬:相手が成長することを必要としているときに、思い通りに成長できるようにすること、だと説明する。さらには、愛することを実践するのは簡単ではないとまで忠告してくれているところがある意味親切で、なお良い。確かに「愛することを実践する」のは至難の技・・・。

先日発売された全150巻に及ぶ「ザ・ワールド・ルーツ・ミュージック・ライブラリー」(キング・インターナショナル)から「農村ロマの音楽(ハンガリー)」と「ブルガリアの音楽」を聴いた。いずれも小泉文夫氏監修による1964年の現地録音。器楽曲もなくはないが、農民の「踊り歌」や「抒情歌」、「恋歌」をはじめ、やはり「歌」が多い。当然原語での収録なので、内容までは理解できないが、その歌詞は「恨み節」ともとれるネガティブな内容も多く含まれているのだと解説書には書かれている。確かに、ヨーロッパ大陸の歴史は「領土争い」の歴史であるといっても過言ではなく、戦争のしわ寄せはおそらく末端の農民について回ったことが容易に想像できるので、行き場を失った「恨みや怒り」というマイナス感情を発散するために歌を歌って「一つになること」を願ったんだろうと想像すると、一層これらの音楽が身に染みる。

「ロマの音楽」に触発され、ヨーヨー・マの弾くコダーイの無伴奏チェロ・ソナタバーンスタイン指揮するバルトークの「弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽」などを聴いてみた。バルトークとコダーイというハンガリーを代表する両巨匠が20世紀初頭に敢行したハンガリー農村での民謡採集にロマが含まれているのかどうか勉強不足でわからないが、彼らの音楽には「愛」と「憎悪」の両方、すなわちポジティブな感情とネガティブな感情がそっくりそのまま受け継がれ、そのニュアンスが含まれているように感じるのは僕だけだろうか。

バルトーク:パントマイム「中国の不思議な役人」作品19Sz.73(2台ピアノ版)
ゾルタン・コチシュ、アドリエンヌ・ハウザー(ピアノ)

初演当時、物議を醸した何ともグロテスクな台本(これはホラーです)によるパントマイムつきの舞台音楽。作曲者自身の2台ピアノ版でのこの演奏を聴くと、音楽の持つ前衛性と暴力性は、ストラヴィンスキーのかの「春の祭典」以上に衝撃的だ。いや、ひょっとすると「ハルサイ」以上かもしれない。まさに20世紀初頭のパンク・ミュージック!こういうアバンギャルドでグロテスクな曲想の中にも「愛」が感じられるのだからやっぱり天才は違う。

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