ミトロプーロス指揮ウィーン・フィルのフランツ・シュミット「7つの封印の書」(1959Live)を聴いて思ふ

franz_schmidt_sieben_siegeln_mitropoulos417ドにはじまりシで終わり、またドに還る。そのとき、周波数は倍。
オクターヴは最高の調和を示す。
開かれたものは必ず閉じ、また開く。世界は永遠にそれを繰り返し、螺旋の如く昇りつめるのである。死は再生の前兆であり、その意味では幸福の極みであろう。嘆くことなかれ。
新約聖書の、人類の滅亡と最後の審判を語る「ヨハネの黙示録」。
表があり、裏がある。ヨハネが封印を解くごとの災難は、人びとが出逢うべくして出逢う必要必然の浄化の類。恐怖に慄くことなかれ。

神の裁きがおまえたちに下る。罪深い人間よ!おまえたちの期限は切れた。もはや時がない。第七の天使が声を上げ、ラッパを吹くとき、神の秘められた計画が成就する。それは、神が御自身の僕である予言者たちに良い知らせとして告げられたとおりである。
(津上智実訳)

破壊は神々とひとつになるための儀式なり。

今やこの世の国は、我らの主のものとなった!主は世々限りなく統治される!主なる神がこの世を支配される!万物に対する神の力は永遠だ!神の力は至る所に及ぶ。神はこの世のあらゆる国に対する支配権を手にされた。この世のあらゆる国は神に従い、神の支配はとこしえに続く。
(津上智実訳)

僕たちにできることは多くの人々の魂を開くことだろう。それによってできる限り傷口を小さくすることだ。ルー=アンドレーアス・ザロメの言葉が過った。

きわめて崇高なものも、とるに足らぬものも、価値は同じだ。万有は一つであれ!永遠から永遠へ連なりながら・・・われわれ人間はそのうちの一部で、ちっぽけな端くれに過ぎない。万物は淡々と合流して、力強い一つの共同体になる。芸術家の事物に対する感じ方もこれと同じといえるのではなかろうか。
リンデ・ザルバー著/向井みなえ訳「ルー・アンドレーアス=ザロメ―自分を駆け抜けていった女」(アルク出版)P128-129

能力を秘め、世界に貢献しつつも謙虚であることが大切だ。
フランツ・シュミットを聴く。

フランツ・シュミット:オラトリオ「7つの封印の書」
ヒルデ・ギューデン(ソプラノ)
イーラ・マラニウク(アルト)
アントン・デルモータ(テノール)
フリッツ・ヴンダーリヒ(テノール)
ヴァルター・ベリー(バス)
アロイス・フォルラー(オルガン)
ウィーン楽友協会合唱団
ディミトリ・ミトロプーロス指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1959.8.23Live)

ザルツブルク祝祭劇場での実況録音。
このあまりに乾いた音響が作品の隅々までの見通しを優れたものにし、それがかえって音楽の真実味に箔をつける。
20世紀の作品でありながら、そしてヨハネの黙示録をテキストにしながら、フランツ・シュミットの音楽は難解どころかとても親しみやすい。その上、ミトロプーロスの劇的で堂々たる足取りの指揮とくれば、これ以上の上演はなかろう。
第2部冒頭のフォルラーによる荒れ狂うオルガン・ソロに鳥肌。そして何よりヴンダーリヒの歌唱!そして、最後の重厚なハレルヤ・コーラスに魂震える。

こうしたわけで、七番目の星は、地球だった。
地球は、どこにでもあるような星ではなかった!王さまは111人もいるし(もちろん黒人の王さまも合わせてだ)、地理学者は7千人、実業家は90万人、ヨッパライは750万人、大物気どりは3億1,100万人、つまり、ざっと20億人のおとなが住んでいる。
その大きいことといったら、6つも大陸があって、電気が発明される前は、そこに46万2,511人という、まさに軍隊のような数のガス灯の点灯人がいたのだ。
少し遠くから見ると、これは壮大な光景だった。この軍隊の動きというのが、オペラのバレエの場面のように、きっちり統制がとれていたからだ。
サン=テグジュペリ作/河野万里子訳「星の王子さま」(新潮文庫)P83-84

「地球の人たちって」と王子さまが言った。「ひとつの庭園に、5千もバラを植えてるよ・・・それなのに、さがしているものを見つけられない・・・」
「見つけられないね」僕は答えた・・・
「だけどそれは、たった一輪のバラや、ほんの少しの水のなかに、あるのかもしれないよね・・・」
「ほんとうだね」僕は答えた。
王子さまは言いたした。
「でも目では見えないんだ。心でさがさなくちゃ」
~同上書P121-122

すべてはひとつに還るべく閉じられ、また開かれるのだろう。
心の眼で見るべし。

 

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4 COMMENTS

雅之

・・・・・・人間一人一人の性格と、その人間が大勢集まったときの行動パターンが異なるのは、珍しいことではない。
 たとえば、「あの子たち一人一人はみないい子なのに、一緒になると悪いことばかりする」とか、「国民一人一人は善良で優しいのに、あの国はどうしてあんなに好戦的なのだろうか」とかいった具合である。
 だからといって、集団のことと個人のことが、まったく別問題だということにはならない。
 ある国が非常に好戦的なのは、国民一人一人の中にある宗教的な心情に根ざしているのかもしれないし、社会に権威主義的な風潮があるので、独裁者にふりまわされているのかもしれない。自分の子供が不良になったのを、グループのせいにするのは無責任だと思う人も多いだろう。
 集団の行動パターンが個人の性格とかけはなれて見えたとしても、本質的な理解をしようとすればそのあいだの深い関係を無視することはできない。・・・・・・和田 純夫(著)「量子力学が語る世界像―重なり合う複数の過去と未来」 (講談社 ブルーバックス 1994/4/20 第1刷発行) ~P18 『個人と集団=原子と物体』より

両大戦間に活躍した心理学者たち、ルー・アンドレアス・ザロメやアルフレッド・アドラーは、個人と集団の関係性について、どこまで究明できて、どこまでしか究明できなかったのかを、もっと知りたいです。その意味で、第二次大戦後まで生きたカール・グスタフ・ユングの研究テーマは、非常に目の付けどころがよく意義深いと思います。

・・・・・・ユングは歴史や宗教にも関心を向けるようになり、やがてフロイトが「リビドー」を全て「性」に還元することに異議を唱え、はるかに広大な意味をもつものとして「リビドー」を再定義し、ついに決別することとなった。ユングは後に、フロイトの言う「無意識」は個人の意識に抑圧された内容の「ごみ捨て場」のようなものであるが、自分の言う無意識とは「人類の歴史が眠る宝庫」のようなものである、と例えている。

ユングの患者であった精神疾患者らの語るイメージに不思議と共通点があること、またそれらは、世界各地の神話・伝承とも一致する点が多いことを見出したユングは、人間の無意識の奧底には人類共通の素地(集合的無意識)が存在すると考え、この共通するイメージを想起させる力動を「元型」と名付けた。また、晩年、物理学者のウォルフガング・パウリとともに共時性(シンクロニシティー=意味のある偶然の一致)に関する共著を発表した。・・・・・・Wikipediaより

ご紹介の、フランツ・シュミット「7つの封印の書」は、今こそ聴かれるべき音楽だと思います。何故なら、第三次世界大戦が、すでに始まってしまっているかもしれないからです。

「・・・・・・どうして私は憂慮しているのでしょうか?第二次世界大戦という第一次世界大戦の失敗を犯したのちの今日でさえ、罪と殺戮と破壊とともに世界各地で散発的に戦われている戦争を『第三次世界大戦』と呼ぶ人がいるかもしれません。どうしてそういえるのでしょうか?さまざまな今日の世界では、さまざまな状況を前に、利益や地政学戦略、経済的軍事的な欲望があり、そしてそこに兵器の生産と売買があるからです」 第一次世界大戦開戦から100年にあたる2014年9月13日 フランシスコはフォリアーノ・レディプーリアの慰霊施設で戦没者の追悼式典での、ローマ教皇ベネディクト16世の演説(Wikipedia)より

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%82%B9%E3%82%B3_(%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%9E%E6%95%99%E7%9A%87)

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雅之

訂正 第一次世界大戦開戦から100年にあたる2014年9月13日 フォリアーノ・レディプーリアの慰霊施設で戦没者の追悼式典での、ローマ教皇ベネディクト16世の演説(Wikipedia)より

返信する
雅之

再訂正 上記は第266代ローマ教皇フランシスコの演説でしたね。初歩的なミスで大変失礼しました。

再訂正コメントついでに質問です。

岡本様の「輪廻」や「月」へのこだわりは、何かの宗教的バックボーンがあるからなのですか?
そうだとしたら、岡本様の「一人一宗」なのかどうかも教えて欲しいです。

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岡本 浩和

>雅之様

「調和のとれた統一体」を思想の根幹としたルー・ザロメは個人と集団の関係性を直感的には究明しつつあったのだと思います。しかしながら、フロイトとの出逢いから個人的にも彼に溺れるあまり、フロイトのリビドー説を鵜呑みにし過ぎ、良いところまで行ったであろう思考を一旦葬ったところが残念です。
その意味では、ユングは真の天才だったと思います。集合無意識、元型論、共時性、すべてはスピリチュアリティにつながる原始でしょう。

ローマ教皇ベネディクト16世の演説には膝を打ちました。おっしゃるとおり第三次世界大戦は既に始まっています。

>「輪廻」や「月」へのこだわりは、何かの宗教的バックボーンがあるからなのですか?

宗教的かどうかはわかりませんが、バックボーンは2,3あります。
一人一宗ではありません。
何れ機会ある時にお話しいたします。

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