マイスキー&プレトニョフのプロコフィエフ交響的協奏曲(1995.11録音)を聴いて思ふ

prokofiev_maisky_pletnev429「あなたはいま無意識に本当のことを言ったわ」彼女が言った。「悪魔こそがものの道理を知っていて、悪魔こそが、いい、すべてを取り計らってくれるのよ!」彼女の目が不意に燃え出し、彼女は飛び起きると、その場で踊りだし、叫んだ。「私は幸せよ、私は彼と取引きできてとても幸せだわ!ああ、悪魔よ、悪魔!・・・あなたは、いいこと、魔女と暮らすことになるんですからね!」そう言うなり彼女は巨匠に飛びつき、

彼の首に抱きついて、唇に、鼻に、頬にキスをしはじめた。
ミハイル・ブルガーコフ作/法木綾子訳「巨匠とマルガリータ・下」(群像社)P198

何とも荒唐無稽な物語。体制への敵対の姿勢を崩さなかったブルガーコフは、今ロシアではとても人気が高いらしい。あの抑圧された時代と現代とでは、人々の精神状態という意味ではそれほどの乖離はないのでは?
「悪魔こそがすべてを取り計らってくれる」というマルゲリータの言葉が不思議に重い。

ブルガーコフのわずか3週間前に生を得、激動のソビエトを生き、かのヨシフ・スターリンとともに生を終えたセルゲイ・プロコフィエフは、自伝のまえがきでかく語る。

結局2つの理由により私は決意した。私は人生でいくつかのことを達成したので、私の自伝は、だれかの役に立つかもしれない。そして、私はたくさんの興味深い人々に出会ったので、彼らに関しても、この本は興味深いものになるかもしれない。
田代薫訳「プロコフィエフ自伝/随想集」(音楽之友社)P8

その音楽、特に晩年の作品は決して小難しくなくかつ旋律的魅力に溢れ、その上念入りに推敲を重ねているせいもあり、繰り返し聴くたびに新しい発見がある。彼が人間好きだったことさえ物語るよう。

わたしが思うには作曲家は詩人や彫刻家、または画家とまったく同じように、人間、人類に仕える義務がある。人間の生活を美化し、そして守らなければならない。まず作曲家自身が市民でなければならない。そうすればその芸術は意識的に人間の生活を褒めたたえて、人々を輝かしい未来に導くだろう。それが芸術の普遍の掟だとわたしは思う。
~同上書P229

プロコフィエフは体制に寄り添う。そして、あくまで大衆に理解される、それでいて独自の色彩を持つ作品を多くの仲間の力を借り、生み出した。

・プロコフィエフ:交響的協奏曲ホ短調作品125(チェロ協奏曲第2番)(1950-51/52改訂)
・ミャスコフスキー:チェロ協奏曲作品66
ミッシャ・マイスキー(チェロ)
ミハイル・プレトニョフ指揮ロシア・ナショナル管弦楽団(1995.11録音)

ロストロポーヴィチの助言を得て改作された交響的協奏曲の大らかさ。
このチェロの色艶はマイスキー独特の音色だけれど、プロコフィエフの人間に対する底なしの愛情を実にうまく表現し、生気漲る音楽が奏でられる。第1楽章アンダンテは、時に優しく、時に激しく。何という抒情!すべてはプレトニョフ指揮するオーケストラとの見事な対話。
また、第2楽章アレグロ・ジュストの愉悦は、どこかショスタコーヴィチにも似てアイロニカル。20分近くあるこの楽章の中でも、仄暗く柔和な第2主題の美しさが際立つ。マイスキーの独奏チェロがまた雄弁に語るのである。
そして、第3楽章アンダンテ・コン・モートは変奏曲。この躍動感、そしていかにもプロコフィエフらしいユーモアに惹かれる。
それにしてもプレトニョフ指揮するロシア・ナショナル管の有機的な響き。

「感じ取ってくれ、私の身に災いが起こったことを・・・来てくれ、来てくれ、来てくれ!・・・」
でも誰も来てはくれませんでした。暖炉の中で火が轟々と音を立て、雨が窓を打っていました。その時最後のことが起こりました。私は机の引き出しからずしりと重い小説の写しと下書きのノートを取り出し、燃やし始めたのです。
ミハイル・ブルガーコフ作/法木綾子訳「巨匠とマルガリータ・上」(群像社)P190

 

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3 COMMENTS

雅之

昨年、何度もソ連当局と対立したタルコフスキー監督作品のBlu-rayをいくつか買って堪能しました(もちろん、その分、何十倍もの枚数のCDを売り捌き処分したお金で購入しています・・・笑)。

「アンドレイ・ルブリョフ」 「惑星ソラリス」「鏡」「ストーカー」

「ノスタルジア」「サクリファイス 」

http://www.amazon.co.jp/s/ref=sr_kk_2?rh=i%3Advd%2Ck%3A%E3%82%BF%E3%83%AB%E3%82%B3%E3%83%95%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC&keywords=%E3%82%BF%E3%83%AB%E3%82%B3%E3%83%95%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC&ie=UTF8&qid=1453379520

意外にもソ連を出国した後自由を得てからの2作品よりも、ソ連時代のほうが深みがあって、ずっと出来がいいんですよね。

>わたしが思うには作曲家は詩人や彫刻家、または画家とまったく同じように、人間、人類に仕える義務がある。人間の生活を美化し、そして守らなければならない。まず作曲家自身が市民でなければならない。そうすればその芸術は意識的に人間の生活を褒めたたえて、人々を輝かしい未来に導くだろう。それが芸術の普遍の掟だとわたしは思う。

ご紹介のプロコフィエフのその言葉には、とても説得力があります。

何故なら、私自身も妻子を養う義務があり、家庭を守り、会社の同僚に助けられている、一小市民だからです。

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岡本 浩和

>雅之様

>意外にもソ連を出国した後自由を得てからの2作品よりも、ソ連時代のほうが深みがあって、ずっと出来がいいんですよね。

タルコフスキー・フリークの僕は無条件に全作品を肯定しますが、おっしゃることはよくわかります。やっぱりある程度の抑圧やストレスってないと人間はだめなんですよね。

>何故なら、私自身も妻子を養う義務があり、家庭を守り、会社の同僚に助けられている、一小市民だからです。

芸術家に限らず人間誰しもということですね。
ありがとうございます。

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