岩城宏之指揮東京フィルの黛敏郎 歌劇「金閣寺」(1991.3.8Live)を聴いて思ふ

mayuzumi_kinkakuji_iwaki428金閣寺に放火をする直前の溝口の心境吐露にこんな言がある。

私は松の根方にもたれた。その濡れた冷たい樹の肌は私を魅した。この感覚、この冷たさが私だと私は感じた。世界はそのままの形で停止し、欲望もなく、私は満ち足りていた。
「このひどい疲労をどうしたものだろう」と考えた。「何だか熱がこもっていて、けだるくて、手を自分の思うところへ動かすこともできない。きっと私は病気なのだ」
金閣はなお輝いていた。あの「弱法師」の俊徳丸が見た日想観の景色のように。
三島由紀夫作「金閣寺」(新潮文庫)P324

鹿苑寺に法があることは確かだろう。しかし、三島がそれを得ていたかどうかは不明。

「金閣寺」をあらためてひもといて思った。天才だと。
いわば20世紀の古典たる文学作品はある一定の年齢に達さないとその真髄まではわかるまい。とはいえ、三島自身がかの放火事件を材にしてこの小説を上梓したのが30歳をいくぶんか過ぎた頃のことで、それなのにその細密な情景、心理描写にため息が出ると同時に、あらゆる言葉を駆使して読者にイメージを喚起するその筆力に驚嘆の念を禁じ得ない。

その三島の「金閣寺」を黛敏郎がこれまた見事に音化、舞台を創造したのが40余年前。
何よりリブレットを担当したクラウス・H・ヘンネベルクの構成力含め三島の思想をかくも完璧に具現化したことが、この歌劇をより素晴らしいものに仕立てている。
実際のところ、黛氏自身は、当初三島その人に台本の執筆を直接依頼したのだという。それは1970年の夏、すなわち三島が自決するほんの数ヶ月前のことだったらしい。その時三島由紀夫は次のように言い、オペラ化の許可は与えつつも自らの執筆は丁重に断ったのだという。

俺はオペラといえば新派大悲劇調のイタリア・オペラが大好きで、ゼルナー流の表現主義は性に合わないから、台本は勘弁してくれ。でも、初演の時は喜んで見に行くよ。
FOCD 3282/3 ライナーノーツ

いかにも三島らしい。そして、結局初演に触れる前に自決という道を選んだ彼の生き急ぐその姿勢に、金閣寺の溝口の深層にある狂気的な劣等感を投影するのである。

結局のところ、「金閣寺」は不可解な事件を題材にした自叙伝であり、無意識の心理を的確かつ緻密に吐露したあまりに生々しい告白なのだ。少年僧溝口は三島自身であり、そしてすべてが自虐的なゲーム=内なる闇によって成り立っているのである。

黛敏郎:歌劇「金閣寺」
三島由紀夫(原作)
クラウス・H・ヘンネベルク(台本)
勝部太(溝口、バリトン)
松本進(父、バリトン)
亀田眞由美(母、ソプラノ)
上原正敏(若い男、テノール)
山口俊彦(道詮和尚、バス)
佐野正一(鶴川、バリトン)
大沼美恵子(女、ソプラノ)
蔵田雅之(柏木、テノール)
桑田葉子(娼婦、メゾソプラノ)
有為子(加納里美、メゾソプラノ)
東京混声合唱団
岩城宏之指揮東京フィルハーモニー交響楽団
ヴィンフリート・バウェルンファイント(演出)(1991.3.8Live)

その闇の奔流を見事に投影する黛敏郎の音楽の力に感服。もちろん日本初演の棒を振った岩城氏はじめ独唱陣およびオーケストラの力量と熱意は大きい。
第1幕から終幕まで一貫して登場する溝口に扮する勝部氏の勢い衰えぬバリトンから発せられる闇の表現の妙。第2幕での鶴川との対話に見る、まるでワーグナーのような妖艶さとシュトラウスのような退廃美に満ちる音楽の創造的底力、そして幕切れに見る狂気。米兵との子を身籠った女の腹を蹴り流産させる顛末を責められる際の、溝口のどこか冷めた怖れや神経質の表現の巧みさ。
あるいは、第3幕第2景、柏木から尺八を受けとり、奏法の教えを乞う溝口の本音の怪。

役にたたない美だ。
メロディーが消えると、
我々は又戻ってしまう。
君はその内翻足のまま、
僕はこの不具の腕のままで・・・

同時に吹き鳴らされる尺八の不気味さ、しかしその飄々たる美しさ。
そして、やっぱり第3幕ラストのシーンに深層の音化の美しさを知るのである。
確かに鹿苑寺金閣は溝口の心の投影であった。
そして、無意識だろうが、この若き僧(つまり三島自身)は法を永遠に葬ることで自らの生を永遠に保ったのである。

ところで、実際の放火事件の犯人は鹿苑寺の徒弟であった林承賢という当時21歳の若者だったが、その彼が逮捕後すぐの母の自害を機に、次のような手記を残していることが興味深い。

生とは如何、生死なんて全く無意味だ。世の馬鹿面達諦聴せよ!何の意味がある。―こんな事書くのも意味がないが―三度三度飯を食い、又寝ね、泣いたり、笑ったり、怒ったり、毎日毎日くりかえしている。如何に如何に。しかし意味ないと云いながら、やはり自分も意味ないことをやっているんだな。何ものが欺くさせるんだ?敢えて云う、全く意味ない。地球は廻り四季巡行す。一体何だ。人間て何だ。
サイト「金閣寺放火事件」

人生に意味などない。いかに意味づけるかだ。
意味づけをできなかった人間が自暴自棄になって(精神を病んで)起こした事件であったことは疑いの余地ない。

このオペラを理解するにはどうしても舞台に触れねばならないだろう。昨年12月の神奈川フィルの再演に行けなかったことが返す返す悔やまれる。

 

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14 COMMENTS

雅之

金閣寺のド派手な美的センスと、この寺が禅寺(臨済宗相国寺派)であることが、私の中でどうしても結び付けられません(私自身も臨済宗。このド派手建築を許したのは、臨済宗が一部、密教の影響を受けているのとも関係あると睨んでいます)。

>少年僧溝口は三島自身であり、そしてすべてが自虐的なゲーム=内なる闇

芸術とは、詰まるところ、「不幸」や「内なる闇」の自慢比べみたいなところがありますね。

>このオペラを理解するにはどうしても舞台に触れねばならないだろう。

それも黛作品に限りませんよね。

先日話題にした「国柱会」のことを考える上で参考になる、隠れた黛名作のおすすめ盤を(こちらも実演体験ありませんが)。

西川満作詩・黛敏郎作曲 「オラトリオ日蓮聖人」
土田政昭氏指揮、茂原交響楽団・朗読 一龍齋貞山師、ソプラノ薗田真木子氏、バリトン原田圭氏・合唱立正大学グリークラブ他

http://news-nichiren.jp/2014/05/27/7790/

これは特殊なので、入手できる内に入手しておいた方がよいと思います。

返信する
岡本 浩和

>雅之様

>金閣寺のド派手な美的センスと、この寺が禅寺(臨済宗相国寺派)であることが、私の中でどうしても結び付けられません

僕の中で金閣がああでなければならない確たる理由は発見済みです。まさに裏の話なのでここで書くことはできませんが、今度お会いした時にでも大枠のお話はできると思います(ただしズバリ核心そのものは事情により雅之さんといえども無理なのです)

いやあ、オラトリオ「日蓮上人」の貴重なDVDのご紹介ありがとうございます。
こんなものがあったんですね!!早速ポチッと押させていただきました。

しかしながら、雅之さんのアンテナは本当に途轍もない感度ですね。
どうやったらこのページに行き着くのか・・・。
さすがです。

返信する
雅之

>僕の中で金閣がああでなければならない確たる理由は発見済みです。まさに裏の話なのでここで書くことはできませんが、

「大枠のお話だけ」とはいえ、それは楽しみです!! 予め申し上げておきますが、冗談ではなく本気となると小生、臨済宗・曹洞宗等の禅宗系の知識だけはクラシック音楽などよりも余程あるつもりですので(クラシック音楽よりも年季だけは入っており、曹洞宗の永平寺含め禅寺参禅経験多々あり)、まだまだ未熟で修行の身ではありますが、トンデモ説やいい加減な話は通用せず、相当五月蝿いですよ(笑)。 

余談ですが、Favorites(伊達政宗ゆかりの臨済宗・超名刹にご勤務の傍ら、音楽について圧倒的な専門知識量と実践経験をお持ちで、小生常々尊敬の念を抱いております「お◎ぢ」様) も納得されそうなほどの理由だとよいのですが・・・(笑)。

返信する
畑山千恵子

私は、この初演をはじめ、1999年、大阪音楽大学「ザ・カレッジ・オペラハウス」、2015年12月5日、6日、神奈川県民ホールでの上演を見ています。「三島由紀夫と黛敏郎—―金閣寺をめぐって」を1年半、雑誌に連載しました。
初演は大きな鏡が印象的で、溝口の心を映し出すものでした。大阪音楽大学による初演では、日本史を取り上げていました。今回は金閣寺の姿を出すことによって、溝口の心を映し出す演出でしたね。

返信する
岡本 浩和

>畑山千恵子様
日本初演まで観ていらっしゃるんですね!
それは羨ましい限りです。
先日の神奈川公演も観られなかったので悔しい思いをしております。

返信する
雅之

>僕の中で金閣がああでなければならない確たる理由

これだけはどうしても気になるので質問再執着コメントをお許しください(笑)。
岡本様がどのような宗教を信じようとまったくご自由ですが、何せ金閣は皆の世界遺産のひとつなので、うんとこだわってもいいでしょう(笑)。

岡本様のいわれる「金閣」の概念は、再建前か後かどちらですか?

※参考
http://klibredb.lib.kanagawa-u.ac.jp/dspace/bitstream/10487/1477/1/kana-3-1-0004.pdf

私は主に、派手さをより強調し陰陽の要素を抑えた現在の金閣再建を許した臨済宗相国寺派の美的センスを疑っているのですがね。

返信する
岡本 浩和

>雅之様

突っ込みありがとうございます。(笑)
もちろん再建前です。

派手さの強調は再建の際の意図が入り込んだものだと思いますが、少なくとも義満公が創建しなければならなかったあの位置、形、色には深い意味があるだろうということです。
現時点では抽象的なお話しかできずすいません。

>私は主に、派手さをより強調し陰陽の要素を抑えた現在の金閣再建を許した臨済宗相国寺派の美的センスを疑っている

まったく同感です。

返信する
雅之

>ただしズバリ核心そのものは事情により雅之さんといえども無理なのです

とか、

>現時点では抽象的なお話しかできずすいません

とかおっしゃるだけでは、最初のコメント冒頭で書きましたような「密教」の真髄を本当にご存じなのか、もしくは、ビジネスの世界でもよくある「新宗教みたいのものからの影響」を有り難がっている人の勿体ぶった口調なのか、判断できません。

岡本様がどんなに説得力のある説をお持ちでも、「貴重なひとつの有力な仮説」としか拝聴できないでしょうね。失礼ながら、ブログの愛読者として、岡本様が臨済宗や禅宗全般の教義や歴史について、未熟な私よりもご存じとは思えないから申し上げているのです。

たとえば、真言宗の信徒であれば、「空海は、高野山奥の院の霊廟において、現在も生きて禅定を続けていらっしゃる」ことを信じている人が多いでしょう。でも、真言宗に造詣が深くなく信徒でもない人から勝手な解釈をされたくないんだと思います。それは、その宗教への信徒の「愛」ゆえです。岡本様の信じておられる「宗教らしきもの」について、門外漢の私からとやかく勝手なことを言われたくないのと同じです。

返信する
岡本 浩和

>雅之様
すいません、勿体ぶった言い方しかできず。
しかし、少なくともこのブログ上ではこれが精一杯です。
ちなみに、単なる説ではないとだけは申しておきます。
まして「宗教らしきもの」ではなく、お釈迦様の説いた仏教そのものが根拠であることだけは明言します。
とりあえずここではそれで勘弁してください。
いずれ近いうちに。

返信する
雅之

>金閣寺のド派手な美的センスと、この寺が禅寺(臨済宗相国寺派)であることが、私の中でどうしても結び付けられません。

に対し、

>僕の中で金閣がああでなければならない確たる理由は発見済みです。

就職試験の面接官なら、この一瞬の返答で、「あっ、理解されてないな」と勝負ありです、悪いですけど、それが現実です。

本質を理解されていれば、少なくとも、「本来はド派手一辺倒などではなく、確かに三層は全面金箔張りですが、二層は黒漆塗りでした。そして、僕の中で金閣がそうでなければならない確たる理由は発見済みです。」と否定を含み返されるはずです。そこまでは極秘情報でも何でもないわけですら。

「はぁ~い。慌てない慌てない。一休み一休み・・・」 一休

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E4%BC%91%E3%81%95%E3%82%93_(%E3%83%86%E3%83%AC%E3%83%93%E3%82%A2%E3%83%8B%E3%83%A1)

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岡本 浩和

>雅之様
学問的知識という意味では雅之さんには敵いません。
その意味では理解していないのだと思います。
雅之さんが書かれてらっしゃるように僕には答えられませんから素直にそこは白旗を上げます。

>「はぁ~い。慌てない慌てない。一休み一休み・・・」 一休

何卒よろしくお願いいたします。

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岡本浩和の音楽日記「アレグロ・コン・ブリオ」

[…] 三島由紀夫が新派大悲劇調のイタリア歌劇好きだというのは黛敏郎による言だが、なるほどそういう嗜好・思想は彼の作品にも明らかに見出せる。 三島作品に通底する人間心理の冬の側面、それは、読み耽りつつ具に想像を膨らませてゆくと真に醜い事実なのだが、何せ彼の美しい文体と常人には推し量ることのできない多様な語彙を駆使して煙に巻くものだから、僕たちはついその中に幻を見、陶酔してしまう。なるほど、醜い側面を美しい描写によって魅了する方法はイタリア歌劇の人心をつかむ術とほとんど同じものだと、マリア・カラスの歌うルチアを聴いて思い至った。 登場人物が真っ直ぐで裏がなく、しかも人間模様に信じられないような駆け引きがないとそれこそドラマにならないのだろう。 […]

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