ソフィア・グバイドゥーリナの「リペンタンス」(2013.6録音)を聴いて思ふ

gubaidulina_repentance447雷雨の鹿児島。
ソフィア・グバイドゥーリナを聴いて古を思う。
この女流作曲家の音楽は母性に満ちる。繊細でありながら大らかな旋律、同時に深みのある和声。
「リペンタンス」に聴く、嘆きの歌。チェロはどこまでも叫び、ギターは限りなくうねる。
今の僕がほろ酔いだからか、古の趣と現代の洗練が交差する音響の妙に落涙。
彼女は何を後悔するのか?
この世に生まれ出た、その意味に憂いを思うのか?
地を這うようなコントラバスの重厚さにすべてを受容する潔さを思う。
何という肯定感!

ソフィア・グバイドゥーリナを聴いて混沌を思う。
チェロと3つのギターと、そしてダブル・ベースという特殊な編成は母性と父性の錯綜。
ギターの、掻き鳴らされる舞踏に対するチェロの嘆きと悲しみと。
ロックンロールである。

あるいは「セレナード」にあるスペイン風憂愁。
ソフィア・グバイドゥーリナの思考は時間と空間を超える。

グバイドゥーリナ:リペンタンス(2013.6録音)
・チェロ、3つのギターとダブル・ベースのための「リペンタンス」(2008)
ウェン=シン・ヤン(チェロ)
フランツ・ハラシュ(ギター)
ヤコブ・ケラーマン(ギター)
ルーカス・ブラル(ギター)
フィリップ・シュトゥーベンラウヒ(ダブル・ベース)
・ギター独奏のための「セレナード」(1960)
フランツ・ハラシュ(ギター)
・ピアノ・ソナタ(1965)
デボラ・ハラシュ(ピアノ)
・ヴィオラ、ダブル・ベースと2つのギターのための「ソット・ヴォーチェ」(2010/13)
ハリオルフ・シュリヒティヒ(ヴィオラ)
フィリップ・シュトゥーベンラウヒ(ダブル・ベース)
ヤコブ・ケラーマン(ギター)
ルーカス・ブラル(ギター)

そして、強靭な打鍵と精妙な音楽に彩られるピアノ・ソナタの轟音と静音の対比。
ソフィア・グバイドゥーリナを聴いて調和を思う。
どんなジャズ・ピアニストのそれより一層ジャズ的な第1楽章アレグロが踊る。
続く、第2楽章アダージョに通底する不安の念。プリペアード・ピアノ的方法による強烈な音響はあまりに重く暗い・・・。
また、第3楽章アレグレットの細かい音の動きとプロコフィエフやストラヴィンスキーを髣髴とさせるリズムに原始を見出す。ここにもロックがあるのだ。超絶技巧の名曲。

さらには、「ソット・ヴォーチェ」の幽玄。
まさにタイトル通りの深遠さと密やかさ。時折聴こえるホアキン・ロドリーゴの木霊。
ソフィア・グバイドゥーリナの音楽は時空を超える。
その内に在るのは永遠だ・・・。

 

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2 COMMENTS

雅之

未聴の彼女のご紹介の曲も、CDを購入しなくてもYouTube 等で簡単に聴けてしまう便利な時代です(笑)。

ベートーヴェン以降の西洋音楽の歴史は、男の快感曲線から女の快感曲線に徐々に戻りゆく歴史のような気がします。

聴いてイメージしたのは、海水の中に生きる様々な種類のプランクトン。

「1滴の海水を25倍に拡大して撮影した写真」

http://buzzap.jp/news/20140503-seawater-macro/

そして、微生物と共生しなくては存在できない私たち人間。

https://www.youtube.com/watch?v=fdkcFpfNVNU

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岡本 浩和

>雅之様

>ベートーヴェン以降の西洋音楽の歴史は、男の快感曲線から女の快感曲線に徐々に戻りゆく歴史のような気がします。

おっしゃるとおりだと僕も思います。
そう言われてみてまさにと、納得しました。

また、昨日ご紹介いただいた「寄生虫なき病」という書籍は未読ですが、データベースに書いてあるようなことが実際には起こっているのでしょうね。僕たちの子どもの頃には見られなかったアトピーなどアレルギーと言われるものの原因はまさに微生物との共生を人間が拒否したところにあるのかもと想像しました。
ありがとうございます。

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