結婚と破局、そしてパトロン、フォン・メック夫人との邂逅。
運命は端から決まっていたかのように流転する。
悲しい運命と、行く末の明るさの対比を歌ったチャイコフスキーの交響曲第4番(フォン・メック夫人との関係も十数年後突然終わりを告げるのだけれど)。
末恐ろしい大器。
何よりとても音楽的。
第1楽章冒頭の金管のファンファーレを聴いて即座に直感した。
やたらに喧しく吹かせる単に馬力重視の人でないことは確かだとわかった。フレーズの自然な流れ。つながりの醸成の巧みさ。最大音量の時も決して疲れない。そしてまた、最小音量の時の繊細さ。
不思議なことは、相応の抑制を聴かしつつ、聴衆を興奮の坩堝に巻き込むところ。特に、第2楽章アンダンティーノ・イン・モード・ディ・カンツォーナの歌に僕は感激した。弦楽器群の温かさ。個々の奏者の力量を信頼し、しかも丁寧な指揮ぶりはこの人の実直さの証。34歳とは思えぬ安定感。想像以上に素晴らしかった。
また、第3楽章スケルツォのピッツィカートにおける激しい音の動きに運命の悲哀を見、中間の管楽器群のアンサンブルに人生の愉悦を思った(これこそ人生の流転)。
そして、終楽章アレグロ・コン・フォーコの猛烈な勢いと、それでいて踏み外すことのない客観性の見事なバランスに僕は舌を巻いた。音楽の緩急を自在に、自然な呼吸で旋律に対峙する妙技。
終演後の聴衆からの(フライングのない)圧倒的拍手喝采がすべてを物語る(実際はもう1クッション待った方が良かったが、曲が曲だけに良しとしよう)。
真に美しいひととき。
東京交響楽団第640回定期演奏会
2016年5月28日(土)18時開演
サントリーホール
アレクサンダー・ロマノフスキー(ピアノ)
グレブ・ニキティン(コンサートマスター)
クシシュトフ・ウルバンスキ指揮東京交響楽団
・プロコフィエフ:ピアノ協奏曲第3番ハ長調作品26
~アンコール
・J.S.バッハ=シロティ:前奏曲ロ短調
休憩
・チャイコフスキー:交響曲第4番ヘ短調作品36
何より余裕。あるいは中庸さという表現でも良い。
アレクサンダー・ロマノフスキーを独奏に招いたプロコフィエフも素晴らしかった。例えば、終楽章アレグロ・マ・ノン・トロッポのコーダは泣く子も黙るほどの感動を生み出す箇所だと僕は思うが、一見情熱的な響きを醸しつつ、実に冷静沈着な音楽と化すのだからこの指揮者のバランス感覚は特別なんだと思う。
それにしてもアンコールのバッハ=シロティの前奏曲のきれいだったこと。
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