
ピアノ・デュオを得意とするマルタ・アルゲリッチの演奏には、どういうわけかソロのとき以上に哀感が付きまとうことを、僕は以前から不思議に思っていた。愉悦に溢れるモーツァルトのソナタにも悲しみが感じられた。そういえば、その昔、サントリーホールで聴いたネルソン・フレイレとのデュオもそうだった。
“ピアニストたちの通り”は、悲劇がなんの警告もなしに降りかかってきた日まで、ドラマと苦悩の場所であった。悲劇はマルタの近しい友二人を襲った。二人はデュオ・クロムランクの名で知られていた。素晴らしいピアニストたちで、連弾や二台ピアノの曲を惚れ惚れするみごとな演奏で聞かせ、その録音(クラーヴェス・レーベル)は目も覚めるような美しさだった。マルタはパトリック・クロムランクがステファン・アスケナーゼの弟子だった若い頃から知っていた。ベルギー人のピアニストはその後、モスクワで腕に磨きをかけ、ウィーンのディーター・ウェーバーのもとで学びを続け、そこで日本人ピアニスト、桑田妙子と出会った。彼女はパトリックの妻となり、音楽上の専属パートナーとなった。1974年、二人はデュオ・クロムランクを結成し、すぐさまその力にふさわしい名声を得た。マルタは二人が大好きだった。
~オリヴィエ・ベラミー著/藤本優子訳「マルタ・アルゲリッチ 子供と魔法」(音楽之友社)P246-247
まさに親友という関係だったようだが、突然彼らを襲った悲劇にマルタは何を思ったのか。
デュオ・クロムランクのブラームス交響曲第1番&第4番(4手編曲版)を聴いて思ふ 1994年7月、翳りのない20年間ののち、デュオで録音したシューベルトの幻想曲ヘ短調を聴き、パトリックが言った。「これで二人のデュオの録音は最後にしよう」と。激しい口論となった。それまで一度もなかったことだった。夜が明けても、パトリックはそれ以上を言おうとしなかった。二人はマルタに会いにきた。マルタは旅から戻ったところだった。
口論と涙の夜を過ごしたあとで、二人はどちらの気持ちも察していたマルタの思いも虚しく、恐ろしい言葉が発せられた。だが、愛情が損なわれることはなかった。
5日後、パトリックの遺体が、首をつった妙子の足もとで発見された。理想的な夫婦だった二人は、ロミオとジュリエットと同じ運命を選んだのだ。妙子は喪のしるしに髪を切っていた。それは、彼女の祖国での死者を悼む伝統を奇妙なほど連想させた。
~同上書P247-248
理由は何であれ、自死は避けるべきだったと思うが、デュオ・クロムランクの美しい録音たちは遺された。生きることに、演奏することに命を懸けてきた二人にとって、否、特にパトリックにとって、たぶん、たぶんだけれど、創造の種となるインスピレーションが切れた瞬間だったのかもしれない。あるいは、仲良く見えた二人の関係に、目に見えない苦悩や苦痛があったのだろうと思う。恩か仇か敵だといわれる夫婦関係にあって、その因縁は、ピアノ・デュオでは超えることができなかった。
ベルリンはフィルハーモニーでの特別なピアノ・デュオを久しぶりに聴いた。
ブエノスアイレス生まれのほぼ同年代の天才ピアニスト二人の饗宴。
まったく性格の異なる二人のピアノが一つとなるとき、奇蹟は生まれる。
モーツァルトもシューベルトも実に清澄な、力のこもった名演奏だが、最高なるはストラヴィンスキーの「春の祭典」!!
大地から湧き上がる原初の音。
太古の人々は、自然と一体になって生きてきた。
その生命力の発露と、乙女の生贄という儀式を通して生と死が一つであることを顕す、喜びと悲哀の歌。バレンボイムが表だとするならアルゲリッチは裏だ。陰陽相対という後天世界にあって、モーツァルトは表か裏か、あるいはストラヴィンスキーはその逆か、実際のところそんなことはどうでも良いくらいに音楽は白熱する。光と翳があっての音楽美、あるいは動と静が錯綜する、切れ味抜群の音楽に驚嘆する。
当日のフィルハーモニーの聴衆が羨ましい限り。
毎週、マルタは母に連れられ、タルカウアノ通り1257番地のエルネスト・ロセンタル宅で催される音楽サロンへ行くのが習慣となっていた、ロセンタルはオーストリア生まれのユダヤ人富豪で、趣味でヴァイオリンを弾き、金曜日の午後に自宅で音楽サロンを開いており、当地に滞在中の有名音楽家を招くのが恒例となっていた。アラウ、ソロモン、ルービンシュタイン・・・。自分がピアノを弾く番になると、マルタはテーブルの下に隠れて務めを逃れようとした。彼女をそこから出すのは、マルタよりも少しだけ年下のダニエル・バレンボイムの役目だった。この若き天才児は同時代の偉大な音楽家となったが、マルタとは正反対に、人前での演奏になんの抵抗も感じていなかった。ダニエルの両親は二人ともピアニストで、その弟子が次から次へと家へ来てピアノを弾くのを、物心ついた頃から目のあたりにしていた。のちに、世の中にはピアノを弾かない人も存在すると知り、ダニエルは驚愕したという。7歳のときロセンタル宅で指揮者セルジウ・チェリビダッケと出会い、強い影響を受けた。そしてダニエルの室内楽演奏を聴いたイーゴリ・マルケヴィチは、この少年はいつの日か指揮者になるだろうと予言した。
~同上書P42
アルゲリッチ&バレンボイムのストラヴィンスキー「春の祭典」ほか(2014.4.19Live)を聴いて思ふ
あらためてストラヴィンスキー 