何事も言葉で表現することがいかに難しいかを痛感する。
人間の声の持つ聖なる力を思い知る。
清澄な音の一方で、人間的な、つまり俗的な趣を感じとれるところがなお素晴らしい。
音楽は聖俗の混交であり、いわば神と人との崇高なる交渉の手段なのである。
聖歌に思うエロスといえば不謹慎だろうか。
それほどに色香のある作品。大英帝国の前世紀的浪漫の権化、チャールズ・ヴィリアーズ・スタンフォードの教会のための合唱曲は真に美しい。
スタンフォード:
・モーニング、コミューニオンとイヴニング・サーヴィスト長調作品81
・フォー・ロ、レイズ・アップ作品145
・6つの賛歌作品113(抜粋)
・2つのラテン語のモテット作品38
・6つの短いオルガン前奏曲と後奏曲作品105~第6番 オルガン後奏曲ニ短調
・マニフィカト変ロ長調作品164
・6つの賛歌作品113(抜粋)
・主は私の羊飼い
・モーニング、コミューニオンとイヴニング・サーヴィスハ長調作品115
ジョン・マーク・エインズリー(テノール)
ジェイムズ・ヴィヴィアン(オルガン)
スティーヴン・クレオバリー指揮ケンブリッジ・キングズ・カレッジ合唱団(1996.1.13-16録音)
人は安心を求める。
そのためにいつどこでも祈るのだ。
ところで、13世紀ドイツのキリスト教神学者マイスター・エックハルトの言葉に次のようなものがある。
「ありがとう」
一生の間に口にする祈りがたとえこれだけだったとしても、それで十分である。
「すべてが神と一つである」というエックハルトの思想はいかにも東洋的だ。
彼は異端尋問にかけられ、失意のうちに最期を遂げたが、信仰心篤い者にとって死は決して恐るべきものではなかったはず。
いつどこにあっても安心なのだ。
クレオバリーの奏するオルガンが唸る。とても深く重い音色。
高貴な音楽の後ろに垣間見える人間らしさ。
ここで、スタンフォードのブラームスとの思い出をひもとこう。
リヒターに葉巻を渡し、それから箱を私に手渡すと思いきや、素っ気なくひったくり、
「イギリス人だから、煙草は吸わんね!」
これには勇気を振り絞って、御返事することにした。
「誠に失礼ながら、イギリス人も煙草を吸いますし、たまには作曲だってするんです」
葉巻箱が下げられると同時の反撃だった。ブラームスは、恐ろしげなイギリス犬のようにこちらを見つめ、それから笑い転げた。氷は溶け、もう固まらなかった。見事な版画が飾ってあるのを見つけて褒めると、午前中いっぱいは、ピラネージの版画全集など、前年の夏にイタリアで買い集めてきたものの鑑賞会となった。
~天崎浩二編・訳/関根裕子共訳「ブラームス回想録集③ブラームスと私」(音楽之友社)P186
ブラームスの多大な影響を受けたスタンフォードの音楽の何と温かいこと!
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