アントニオ・ヴィヴァルディの音楽の美しさは明暗の妙にあるのだと思う。
煌びやかな陽光差す、水に映える音楽と、憂いを帯びた陰翳豊かな緩徐楽章の対比。
愉悦と悲哀の間を揺れ動く思春期の青年の如し。
特に、チェロ協奏曲にある深み。聴く者の心をとらえるのはひょっとするとミッシャ・マイスキーの技量によるところが大きいのかも。
引き続き久しぶりに耳にしたマイスキーの奏するバロック期の協奏曲に感極まった。
深刻なようで軽く、軽いようで実は重厚な音楽にため息が漏れる。
一方、ヴィヴァルディが没してほぼ1年半後に生を得たボッケリーニの音楽は、どちらかというと揺れは少ない。何というかより大衆に近い、親しみやすさがある。そして、一層音楽が感情的なのである。
悩まないことだ。
失敗を恐れぬことだ。
そして、何事にも前向きに挑戦してみたまえ。何にせよ命の危険にまで晒されることはないだろうから。
勇気を喚起する音楽、アントニオ・ヴィヴァルディ。
そして、優しさですべてを包み込んでくれるルイジ・ボッケリーニ。
マイスキーの選曲の素晴らしさ。
ヴィヴァルディ:
・チェロ協奏曲イ短調RV418
・チェロ協奏曲ロ短調RV424
・チェロ協奏曲ハ短調RV401
・チェロ協奏曲イ短調RV422~第2楽章ラルゴ
ボッケリーニ:
・弦楽五重奏曲ホ長調G.275(ミッシャ・マイスキー編曲)~第3楽章メヌエット
・チェロ協奏曲第6番ニ長調G.479(カデンツァ:ミッシャ・マイスキー)
・チェロ協奏曲第7番ト長調G.480(カデンツァ:ミッシャ・マイスキー)
ミッシャ・マイスキー(チェロ)
オルフェウス室内管弦楽団(1994.5.17-19録音)
ボッケリーニのカデンツァはマイスキーの自作。
愛らしくも悠揚たるチェロの響きに感無量。ボッケリーニの音楽とひとつになったマイスキーの魂が飛翔する。彼は愛しているのだ。そして、演奏することが好きで好きで堪らないのである。
例えば、ト長調協奏曲第2楽章アダージョにみる静けさと安寧の凄み。そして、直後の第3楽章アレグロにおける見事な解放。こういうひらめきこそマイスキーの真骨頂。
もしお前が自ら望むほどの美しさを備えていたならば
自信を持って
森をあとにし、人々の間へ出ていくこともできるのだが。
~ペトラルカ「カンツィニエーレ126番」
すべては美しい。
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相も変わらず「ヴィヴァルディよりテレマンの方が100倍好き!」などと、ドヤ顔で自己主張してみたくなる癖は、多分に皆川さんの影響を受けたからかも。
私も無意識のうちにいろいろ洗脳されてますなあ(笑)。
ボッケリーニは昔から好き!!
>雅之様
クラシック音楽の、若い頃に受けた洗脳はもうどうにもなりませんな。(笑)
というか、その洗脳は洗脳で価値あるものですから良しとしましょう。
「ヴィヴァルディより」とはあえて言いませんが、テレマンも素敵です。