グリュンマー シュトライヒ ホップ ベーメ エーデルマン フルトヴェングラー指揮ウィーン・フィル ウェーバー 歌劇「魔弾の射手」(1954.7.26Live)

ジャーナリズムの一部から、魔弾の射手が—指揮者とか舞台監督のせいではありません、あのウェーバーの作品そのものがです—拒絶され、ザルツブルクにはふさわしからずと烙印を押されるしまつです。まともな新聞にそういう記事を読まなければならないとなると、職業を変えねばならぬのではないかと、考え込んでしまいます。
(1953年9月3日付、フリッツ・ツヴァイク宛)
フランク・ティース編/仙北谷晃一訳「フルトヴェングラーの手紙」(白水社)P281-282

フルトヴェングラーがザルツブルク音楽祭復興のために必須だと考えていた作品は、「フィデリオ」、「魔笛」(完璧に演奏できるだけでなく、私たちの肉体そのものだとフルトヴェングラーは考えていた)、そして「魔弾の射手」だったそうだ。
「フィデリオ」、「魔笛」に関しては、戦後楽壇復帰した後、すぐに音楽祭で採り上げているが、「魔弾の射手」は亡くなる年になってからだった。

リップ ゼーフリート デルモータ クンツ グラインドル シェフラー フルトヴェングラー指揮ウィーン・フィル モーツァルト 歌劇「魔笛」K.620(1951.8.6Live) フラグスタート パツァーク シェフラー ブラウン グラインドル フルトヴェングラー指揮ウィーン・フィル ベートーヴェン 歌劇「フィデリオ」作品72(1950.8.5Live) フルトヴェングラー指揮ウィーン・フィルのベートーヴェン「フィデリオ」(1948.8.3Live)を聴いて思ふ フルトヴェングラー指揮ウィーン・フィルのベートーヴェン「フィデリオ」(1948.8.3Live)を聴いて思ふ

フルトヴェングラーが音楽祭にとって重要な役割を担うようになったにもかかわらず、執行部は長らく「魔弾の射手」に反対し続けたようだ。具体的な上演計画が動き始めたのは1953年、ブルーノ・ワルターが音楽祭でウィーン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮し、ウェーバーのオペラを強く支持したときだった。フルトヴェングラーとは、「フィデリオ」で共演経験のある若きドイツ人演出家、ギュンター・レンネルトがプロデュースを手掛け、舞台美術と衣裳はテオ・オットーが担当、アンサンブルはベルリン、ミュンヘン、ウィーン出身のトップ歌手達で構成された。
1954年の音楽祭での「魔弾の射手」プレミエ公演も大成功を収めたとは言えない。上演直前から、マスコミの論調は、そもそもこのオペラがザルツブルク音楽祭で上演される理由を痛烈に疑問視していた。プレミエに関するほぼすべての評は、そもそも「魔弾の射手」はフェルゼンライトシューレの自然の舞台で上演されるべきだったという記述から始まっていた。しかし、前年同様、この古い野外劇場は、1954年には使用できなかった。撮影が予定されていたモーツァルトの「ドン・ジョヴァンニ」の複数の舞台装置があったためである。旧音楽祭劇場の舞台は比較的狭かったため、妥協を余儀なくされた。ギュンター・レンネルトとテオ・オットーはロマンティックな自然描写と演劇的効果を放棄したくなかったので場面転換に長い時間を要した。フルトヴェングラーがより落着いたテンポを好んでいたことも相まって、演奏は3時間半以上にも及んだ。批評から推察すると、聴衆は落ち着きを失い、集中力も低下したようだ。しかし一方、この作品の素晴らしさを認識していた人も多かった。とりわけフルトヴェングラーの解釈は、巨匠の作品に対する宗教的なまでの献身から、見事に聴衆から絶賛された。

(ゴットフリート・クラウス)

ここでもまた、—恍惚として—『魔弾の射手』に取り組んでおりますが、ときどきマンハイムでの演奏を思い出します。指揮者としての私にとって、なんという幸福な時だったでしょう。
(1954年7月17日付、アンナ・ガイスマル宛)
フランク・ティース編/仙北谷晃一訳「フルトヴェングラーの手紙」(白水社)P303

最晩年のフルトヴェングラーの指揮を聴けた人は幸運だ。
そして、後年、この舞台に接した吉田秀和さんが指摘するように、確かに素晴らしい演奏だった。

フルトヴェングラーの「魔弾の射手」(1954Live)を聴いて思ふ フルトヴェングラーの「魔弾の射手」(1954Live)を聴いて思ふ

フルトヴェングラーは、その後、ザルツブルクで『ドン・ジョヴァンニ』と『魔弾の射手』、バイロイトで『第九』をきいた。ことに『第九』は感心した。第3楽章がよかった。第4楽章の歓喜の主題がバスで出た時はずいぶんおそく、それが反復されるたびにだんだん速くなり
しだいにもり上がっていって、合唱にもってゆくところは、何ともめざましいばかりだった。ここの合唱はまたとび切り上等で、男声のよいことといったら、西ヨーロッパの最高級ヴィーンのジング・アカデミーやベルリンのザンクト・ヘトヴィク教会の合唱団以上のものだった。数あるドイツ各地のオーパーの重要メンバーが集まり、しかもほとんどみんな十年以上もここに歌っているのだそうだ。
オペラのことはまたかく機会があるだろう。演奏会でのフルトヴェングラーの指揮で、本当に感心—というより何か唯一無二の感銘をうけたのは、実は今までかいてきたことのほかに、その高い精神性というものである。

「吉田秀和全集8 音楽と旅」(白水社)P176-177

フルトヴェングラー指揮ウィーン・フィル モーツァルト 歌劇「ドン・ジョヴァンニ」K.527(1954.8.6Live) フルトヴェングラー指揮バイロイト祝祭管 ベートーヴェン 交響曲第9番「合唱」(1954.8.9Live)

「精神性」云々という言葉を嫌う人もいようが、フルトヴェングラーの演奏に対してこの言葉を用いたのは、日本人でおそらく吉田さんが最初ではないだろうか。そして、吉田さんは次のように書く。

フルトヴェングラーはもう片耳(右だったと思う)がきこえなくなってきていたのだそうである。実際舞台姿もずいぶん弱っていた。僕は大岡さんとも「このへんが見納めになるかもしれないな」と話しあったものだ。
~同上書P177

(このとき吉田さんは、別宮貞雄さんと大岡昇平さんと共にフルトヴェングラーを聴いていたようだ)

・ウェーバー:歌劇「魔弾の射手」作品77(1821)
アルフレート・ペル(オットカール侯爵、バリトン)
オスカー・チェルヴェンカ(クーノー、バス)
エリーザベト・グリュンマー(アガーテ、ソプラノ)
リタ・シュトライヒ(エンヒェン、ソプラノ)
クルト・ベーメ(カスパール、バス)
ハンス・ホップ(マックス、テノール)
オットー・エーデルマン(隠者、バス)
カール・デンヒ(キリアン、バリトン)
ウィーン国立歌劇場合唱団
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1954.7.26Live)

ザルツブルク音楽祭は祝祭大劇場での実況録音。
「魔弾の射手」についてはカルロス・クライバーの名盤で打ち止めとしていたが、ついに正規でリリースされたフルトヴェングラーのザルツブルク・ライヴを聴き、クライバーのものとはまったく別の、あくまでフルトヴェングラーのそれの真髄を感得し、当時、僕は繰り返し聴いた(録音も鑑賞に十分耐え得るものだ)。

今回、10数年ぶりに聴いてみて、このオペラの価値が一層理解できたように思う。
幕を追う毎に集中力を増す演奏。(当時の批評では聴衆の多くが集中力を切らしたというが、信じられない)

淡々と、しかし渾身の想いを込めつつうねる第3幕が素晴らしいと思う。

『恋は盲目』と言われますが、ほぼ他のどの作品にも増して『愛の産物』である《魔弾の射手》のような作品を考えるとき、どうしてその盲目を避けられるでしょうか。一人の音楽家として言えるのは、このスコアは、すべての小節に宿る確信に満ちた意思、声部の書法と響きが放つ抗いがたい神秘、そして人間感情の見事な性格描写において、演劇特有のニーズに対する深い洞察を持って書かれており、世界文学における最高傑作の一つに数えられるということです。
確かに、《魔弾の射手》が語る内容はあまりに単純で、あまりに家庭的すぎると考える人々もいます。彼らは、テクノロジーや原子爆弾の時代において、このような純朴さはもはや私たちに語りかけるものを持たないと信じているのです。そうした人々は、民族音楽がいつ、なぜ、何のために生まれたのかを知らない人々でもあります。演劇史上最大の勝利の一つとなった《魔弾の射手》の世界初演においてさえ、かなりの数の専門の批評家たちが、この作品をあまりに稚拙であると考えていたのです。
《魔弾の射手》は、専門の音楽家としてではなく、一人の人間としての私たちに語りかけてきます。これは単なる『興味深い』オペラではなく、もっと崇高なもの、すなわち『真の共同体的な体験』なのです。ウェーバーは、細部に至るまで熟達した、驚くほど自然な音楽を書いただけでなく、彼を偉大な作曲家の一員たらしめる功績をも授けられました。それは、民族音楽になり得たであろう豊かな旋律の数々を生み出したことです。言い換えれば、それらはウェーバーの個性の刻印をすべて備えながらも、本物の民族音楽のような効果をもたらします。その結果、高度に発達した個性と、圧倒的な共同体感覚が融合しているのです。こうした土台の上に、私にとって常に人間の創造力の頂点と思えるような場面が創り上げられているのです。
もし何かが可能であるとするならば、《魔弾の射手》のような作品こそが、時代遅れの文化に属する現代の私たちに、子供の頃のような純朴さと至福を取り戻させてくれるはずです。

(1954年7月または8月、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー)

フルトヴェングラーがどれほど「魔弾の射手」を愛していたことか!

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