
弟子たちによる勝手な改竄という解釈は、今では随分見方が変わったのではなかろうか。こういう例は、アントン・ブルックナーならではの事象であり、現在容易に耳にすることのできるいわゆる第1稿を聴くにつけ、その前衛的な響きにおそらく当時の大衆には理解不能だっただろうことは明らかで、それこそ弟子たちの慈しみと知恵による改訂だったという見方も相応に説得力がある。
1893年は病に明け、病に暮れた年だった。前年末に『第8番』初演が成功裡に終わった直後から、ブルックナーの健康は悪化の一途をたどる。聖フロリアンで新年を迎えてヴィーンに戻ると、足のむくみや呼吸困難が著しく、一時は絶対安静を命じられたほどだった。
医者の診断では、浮腫と胸水貯留をともなう重度の心臓病だった。呼吸困難を和らげるために、胸膜穿刺がほどこされ、利尿効果のあるジギタリストなどが投与された。減塩療法は当時まだ知られておらず、牛乳による厳しいダイエットが命じられた。主治医はカティに訪問者を遠ざけるよう指示したが、そのことを知らなかったブルックナーは、ニュルンベルクの音楽学校の校長となったゲレリヒにこう訴えている。
胸水症は持ち直したが、足のむくみがひどくなった。まったく見捨てられたような気分だ。誰も訪ねて来んし、来てもほんに稀なことだ。あの連中の頭の中にゃ、ヴァーグナー協会のことしかない。オーバーライトナーでさえ、あそこにしか足を向けよらん。シャルクが彼を引き込んだにちがいない。シャルクが私の『ミサ曲第3番』を演奏するらしいと、人づてに聞いたのは、もう何か月も前だった。それなのに奴はやっと2,3日前に知らせてきよった(3月10日)。
~田代櫂「アントン・ブルックナー 魂の山嶺」(春秋社)P292
個人的にはこれはブルックナーの妄想だと思う。
(特に病気のときは人間というもの気弱になるのは当然であり、致し方ない)
クナッパーツブッシュ指揮ウィーン・フィルのブルックナー交響曲第5番(シャルク改訂版)を聴いて思ふ ハンス・クナッパーツブッシュの遺産。
これまで幾度か採り上げるが、年齢を重ねるごとにシャルク版の存在意義、そして、クナッパーツブッシュの類稀なるブルックナー愛に満ちる演奏に言葉がない。
・ブルックナー:交響曲第5番変ロ長調 (1896年フランツ・シャルク改訂版)
ハンス・クナッパーツブッシュ指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1956.6.3-6録音)
ゾフィエンザールでのセッション録音。
数多のカット、あるいは、オーケストレーションの信じ難い変更など、ブルックナーらしさは完全にスポイルされているが、それにしてもクナッパーツブッシュの解釈には、先のレーヴェ改訂版による「ロマンティック」同様、再現された音楽は堂に入り、変幻自在のうねりと爆発、滋味あふれる静けさに満ちるものだ。
特に終楽章の圧倒的コーダは、異形ながら何度聴いても感動させられる代物。
すなわち、天才は大衆を感動せしめる感情の伝令者となる、—同情が、苦悩、低劣、軽蔑、迫害のうちにながらえてきたすべてのものに対してすらの畏敬が、その他すべてのものを圧倒しさるほど強調される(この典型は、ヴィクトル・ユゴーとリヒアルト・ヴァーグナー)。—賤民の擡頭は繰りかえし古い価値の擡頭を意味する。
現代文明が表示するテンポと手段に関するこのような極端な運動がおこるときには、人間の重心は狂ってしまう。ほかならぬこの人間こそ、そうした病的な運動の大きな全危険を結局は最も多く償わざるをえず、いわばその責任を負うものであるのだが、—その人間は、諸要素のこうした巨大な転変と混淆のただなかにあっては、すぐれて狐疑逡巡し、受けとることはゆっくりで、手放すことはしぶり、相対的に持続的なものとなるにいたるであろう。そうした事情のもとでは重心は必然的に凡庸な者の方へと移ってゆく。賤民と変人(両者はたいてい結びついている)の支配に対抗して、凡庸性が、未来の保証者や担い手として、身を固めるのである。
~原佑訳「ニーチェ全集13 権力への意志(下)」(ちくま学芸文庫)P383
ニーチェの指摘のように、天才ブルックナーにあって、フランツ・シャルクやフェルディナント・レーヴェは凡庸性の権化であったのではなかろうか。大衆が最初に耳にしたブルックナーの第5交響曲はこれであった。まさに凡庸性が天才を手に入れ、人々を楽しませたのである。
世紀をまたぎ、シャルク版の意味、意義は一層大きくなったと思う。
改訂版の復権だ。

