バックハウスのモーツァルト・リサイタル(1955.10録音)を聴いて思ふ

高原の夜は静寂の中。
樹々と共鳴するヴォルフガング・アマデウス。

僕が、ヴィルヘルム・バックハウスのレコード(いわゆるアナログ盤)に初めて触れたのは40年近く前のこと。どういうわけだか十八番のベートーヴェンではなく、「モーツァルト・リサイタル」(1961&66録音)と題する、無骨だけれど素朴で優しい名演奏は僕を虜にした。しばらくあの解釈が僕のスタンダードになってしまっていたのは良かったのかどうなのか。

あれからたくさんのピアニストのモーツァルトを聴いた。世界には数え切れないほどのモーツァルトの名演があって、何もバックハウスのものが随一と言うつもりはないのだけれど、それでもこの老大家の演奏を聴くたびに安堵の念を覚えるのは確か。
ここには、言葉に表現し難い母性があるのだと僕は思う。

バックハウスが1955年に録音した、同じく「モーツァルト・リサイタル」と題するモノラルの音盤もとても素晴らしい。冒頭、幻想曲ハ短調は、とてもオーソドックスな解釈だけれど、モーツァルトの翳の部分を見事に捉え、その分一層、光を強調することになっているところが彼ならでは(特に、最初の暗澹たる和音から深沈とした音調を保ちながら6小節目にわずかな光が差す瞬間の機微)。この作品は、今では昨年のイーヴォ・ポゴレリッチの実演をもって唯一無二と言わざるを得ないが、老ピアニストの作曲家への愛情が深く刻印されているという意味で、(僕の中では)リリー・クラウスのそれと並んで白眉。

モーツァルト:
・幻想曲ハ短調K.475
・ピアノ・ソナタ第14番ハ短調K.457
・ピアノ・ソナタ第10番ハ長調K.330
・ロンドイ長調K.511
ヴィルヘルム・バックハウス(ピアノ)(1955.10録音)

続くソナタハ短調K.457は、特に第2楽章アダージョが、淡々と奏でられながら自然の息吹を感じさせ、何とも和む。これぞモーツァルトの美しさ。
そして、ソナタハ長調K.330第1楽章アレグロ・モデラートの、冒頭一瞬のためを作っての相変わらずバックハウスらしい朴訥な表現に心動く(ウィーン時代初期のモーツァルトの音楽は本当に可憐)。また、第2楽章アンダンテ・カンタービレのどこか寂しげで優美な歌と、第3楽章アレグレットの軽快な喜びの見事な対比。

さらに、晩年の作品であるロンドイ長調の哀愁。
心をこめて、命を懸けてモーツァルトに挑む巨匠の悲痛な叫び。
モーツァルトが泣いている。
旧録音の「モーツァルト・リサイタル」を聴いて、あらためてヴィルヘルム・バックハウスの偉大さを思う。

 

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