クナッパーツブッシュ指揮バイロイト祝祭管のワーグナー「パルジファル」(1952Live)を聴いて思ふ

knappertsbusch_collection_parsifal_recordingsわれわれ一般の人間がメスカリンが効いているときだけ眼にするものをいつでも見ることができる能力を、芸術家は先天的に備えているのだ。芸術家の知覚は生物学的にまた社会的に有用であるものだけに限られてはいない。〈遍在精神〉だけが手にする知識が脳や自我の減量バルブから染み出て芸術家の意識の中へ入っていくのである。
オルダス・ハクスリー著/河村錠一郎訳「知覚の扉」(平凡社)P42

画家に限ったことではない。音楽家も詩人も同様、天才には天の声が聞こえるのである。
厳密にいうなら再現されたものは天の意思だ。人は媒介に過ぎぬ。だからこそ人は容易なことでその意志を曲げることはできない。

「遍在精神」の所有者リヒャルト・ワーグナーのいわば使徒であったハンス・クナッパーツブッシュは、天の意思をどれだけ正確に再現できるかにおそらく命を賭けた人だった。もちろんクナッパーツブッシュ自身も凡人には見えないものがいつでも見えていたのだと思う。だからこそ、バイロイト音楽祭の戦後再開後のヴィーラント・ワーグナーの(リヒャルトの指示を無視した)抽象的な演出には我慢がならなかった。
もちろん作曲者のト書きに固執する彼の意図はわかる。しかし、ヴィーラントの歴史的演出も天の意思の如くの天才であり、ここはやはり老練のクナッパーツブッシュがあまりに保守に陥り、頑固にもへそを曲げただけだと今となっては考えざるを得ない。インスピレーションの出所の異なる天才同志はぶつかるのかもしれない。

1953年のバイロイト音楽祭における「パルジファル」の指揮者問題、その顛末が興味深い。
ちなみに、1951年の頃のクナッパーツブッシュからヴィーラントへの手紙には次のようにある。

要は、したくないのではなく、できないということです。ヴァーグナーへの私の信仰はとても強いのです。あなたのそれより強いのです。次のバイロイト音楽祭にも協力したいという気持ちより強いのです。ヴィーラント・ヴァーグナーはリヒャルト・ヴァーグナーに達していない。これが私の痛みです・・・私とは別の世界であなたはリヒャルト・ヴァーグナーのために生きておられる。あなたはもはや正しいヴァーグナーを体験することが許されなかったのです。
奥波一秀著「クナッパーツブッシュ―音楽と政治」(みすず書房)P190-191

確かにクナッパーツブッシュは孫のヴィーラント以上にワーグナー信者であった。
ワーグナーの作品は彼にとって絶対であった。
例えば1930年代の、オペラ演出が年々モダン化することに対し新聞紙上で示した根っからの反発がまた興味深い。何と「髭のないヴォータン」を徹底的に攻撃するのである。

世界中の有名なオペラ演出家はだれも、特殊な個性でもって才能をひけらかそうとして失敗している。不適切だし、とんでもない空威張りにすぎぬのだから、とことん斥けねばならない。たとえば「髭のないヴォータン」。これほどひどい様式の欠如がほかに考えられようか・・・バイロイト祝祭劇場が10年間閉鎖されていたために、そうした悲しむべき果実が熟し、ヴァーグナーの様式となにひとつ関わりのない傾向、病的なまでに「モダン」であろうとする志向が助長されてしまった。演出に関するジークフリート・ヴァーグナーの偉大な―さらにこう言いたいが―根本的な業績が・・・世界から完全に忘れ去られてしまったかのように思えてならない。
~同上書P190

数年に及ぶヴィーラントとの確執は、一旦彼が指揮台を降り、クレメンス・クラウスがその代役を担ったことで収束したが、幸か不幸か1953年の音楽祭に登場後クラウスが急逝したため、時間の迫る中ヴィーラントは再びクナッパーツブッシュに頼らざるを得なくなった。それでも固辞する指揮者を説得したのはマリオン夫人とヴォルフガング・ワーグナーらしいが、お陰で僕たちはバイロイト音楽祭におけるクナッパーツブッシュのワーグナーを、しかも幾種もの録音を聴けるのである。歴史のいたずらとは実に面白い。

・ワーグナー:舞台神聖祭典劇「パルジファル」
ジョージ・ロンドン(アムフォルタス、バリトン)
クルト・ベーメ(ティトレル、バス)
ルートヴィヒ・ウェーバー(グルネマンツ、バス)
ヴォルフガング・ヴィントガッセン(パルジファル、テノール)
ヘルマン・ウーデ(クリングゾル、バス)
マルタ・メードル(クンドリ、ソプラノ)
カール・テルカル(第1の聖杯騎士、テノール)
ヴェルナー・ファウルハーバー(第2の聖杯騎士、バス)
ヘルタ・テッパー(第1の小姓、ソプラノ)
ハンナ・ルートヴィヒ(第2の小姓、ソプラノ)
ゲルハルト・ウンガー(第3の小姓、テノール)
ゲルハルト・シュトルツェ(第4の小姓、テノール)、ほか
ハンス・クナッパーツブッシュ指揮バイロイト祝祭管弦楽団&合唱団(1952Live)

数ヶ月前に手に入れたバイロイトの「パルジファル・ボックス」をようやく聴き始めた。
まずは1952年の「パルジファル」。音質も良く、クナッパーツブッシュの悠揚迫らぬ深々とした呼吸の音楽が、圧倒的音響で僕たちの前に現出する。おそらくこの頃が彼の最も心身が充実していた絶頂期だったのだと思う(それゆえにワーグナー信者として舞台のすべてに拘った)。

第1幕フィナーレのすごさ!
グルネマンツの「善をもって悪に報いるものこそ、悪を払うのだ」という言葉に対し、クンドリは次のように応える。

善行だなんて―
欲しいのは安息だけ。
この疲れた身に、安らぎを。
眠りたい―もう、誰も起こさないで!
だめ!眠ってはだめ!―恐ろしくて身動きもできない!
逆らおうにも逆らえない。時が来た。
眠い―眠りに、引き込まれてゆく・・・
日本ワーグナー協会監修/三宅幸夫・池上純一編訳「パルジファル」(白水社)P31

当時40歳のマルタ・メードルの絶唱に震える。
そして、直後のグルネマンツとパルジファルのやりとりの絶妙。ヴォルフガング・ヴィントガッセンが素晴らしい。

パルジファル 歩き出したばかりなのに、ずいぶん遠くまで来たようだ。
グルネマンツ そうだとも、お若いの、ここでは時間が空間となるのだ。
~同上書P33

その後に続く「舞台転換の音楽」はクナッパーツブッシュの真骨頂。
ハンス・クナッパーツブッシュの51回目の命日に。

 

ブログ・ランキングに参加しています。下のバナーを1クリック応援よろしくお願いいたします。


音楽(全般) ブログランキングへ


2 COMMENTS

雅之 へ返信するコメントをキャンセル

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

アレグロ・コン・ブリオをもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む