シューリヒト&ハーグ・フィルのブルックナー交響曲第7番を聴いて思ふ

bruckner_7_schuricht_hague音楽の造形は時間と空間とで決まるものではない。造形とはすなわち「バランス」だと。
カール・シューリヒトを聴いてあらためて思った。
ブルックナーの場合、インテンポを遵守し、安定感のあるスローテンポが理想だとずっと思っていた。それこそが確固とした造形を創出する「絶対」だと信じていた。
朝比奈隆の、晩年になるにつれ意外にも「ますます速く若々しくなってゆく」解釈と、以前にも増してテンポの揺れが激しくなる造形に、本質を掴んでいればそれもありなんだと知ったときの感動は・・・。どんな風になっても巨匠のブルックナーの価値は変わることがなかった。いつどんな時も最も安心して身を任せられる音楽に僕の「思い込み」はいつの間にか覆っていた。

シューリヒトのテンポは速い。そして、いかにも感情を排除した即物的解釈に一見聴こえる。しかし、虚心に耳を傾けると、「人間的なるもの」を一切排除した音楽であるとは言い切れない、彼独自の信念に基づいた、何とも表現し難いユニークなブルックナーであることをいつの日か悟った。

30余年前はわからなかった。少なくともハーグ・フィルとの第7番に関して僕は否定的だった。

ブルックナー:交響曲第7番ホ長調
カール・シューリヒト指揮ハーグ・フィルハーモニー管弦楽団(1964.9録音)

まったく軽くない。決して即物的でもない。この二流のオーケストラから―響きの濁る問題の多いオーケストラからこれほどに解放的で有機的な、そして深い音楽が生み出せることがやはり奇蹟だ。カール・シューリヒト最晩年のマジックだといえる。

シューリヒトの葬儀の際に、牧師がマルタ夫人にかけた言葉が意味深い。

カール・シューリヒト氏は、その生涯を通じて驚くほど若々しいままでした。子どものような溌剌さを保っていたからこそ、鉛の兵隊で遊べたのでしょう。彼のお気に入りだった素敵な鉛の兵隊は隊列を作るとそこでイメージの彫刻家の夢が形となっていくのでした。
ミシェル・シェヴィ著・扇田慎平/塚本由理子/佐藤正樹訳「大指揮者カール・シューリヒト生涯と芸術」P179

孤独という大きな力に対抗するのは、精神の輝きです。私たちは愛を前にして、孤独を前にして、死を前にして、たったひとりの人間でしかありません。そして人は、神をかたどっただけの偶像であるのか、それとも神とともに存在するのかという疑問のなかで、それぞれはひとりひとりでしかありません。こうして論じてくると福音をもたらす真の神とともにあるとき、人は勇敢になるのです。カール・シューリヒト氏は読書と教養に情熱を傾け、孤独のなかで懸命に神の御言葉を見出そうとしたのは、なぜなのでしょうか。人文主義的な教養は、魂を豊かにさえすればそれで十分だとする傾向があるように見受けられます。しかし、この芸術家は、私たちに語りかけ、元気づけ、私たちを慰める永遠に変わらない真実は、新約聖書によって、私たちの目の前に現れることを見出したのです。
~同上P180

まさにここで語られることの体現がブルックナーの第7交響曲ということ。
そう、この演奏の根底にあるのは「信仰」ということ。それゆえシューリヒトのブルックナーは神々しい。

ブルックナーのこの作品においては、前半2楽章に比して後半2楽章があまりに矮小でバランスに欠けると一般的には言われる。しかし、シューリヒトの演奏する第7交響曲の白眉は実にフィナーレだ。何という悠久を感じさせる雄渾な音楽運びであることか。ここには「永遠」しか感じられず、そしてブルックナーがこの作品に託した「宇宙」「神」という「真実」に肉薄する最右翼だと今なら断言できる。

何という深遠さ・・・。

 

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