ケンペ指揮ウィーン・フィルのワーグナー歌劇からの管弦楽曲集(1958.2録音)を聴いて思ふ

年末のこの時期になると無性にワーグナーが欲しくなる。
リヒャルト・ワーグナーには間違いなく毒があると思う。

ルドルフ・ケンペのワーグナーを聴いた。
テンポは中庸、音調は渋い。しかし、想念の厚みは並大抵ではなく、殊に、祈りの強い曲想では、音楽が息吹を上げて迫ってくる。音が立っているのである。「パルジファル」前奏曲の静けさ、あるいは、「聖金曜日の奇蹟」の、遅めのテンポから繰り出される霊的な響き!この、沈黙の音楽の強烈な魔法は、他の指揮者のどんな演奏にも聞けないもの。確かに素晴らしい。

大体「パルジファル」という作品そのものが、浮世を離れた作者の胸のうちで芽生え、徐々に育まれたのであった。あけっぴろげな感覚と自由な心の持主なら、ペテンと欺瞞と偽善を通じて組織化され、合法化された殺人と収奪の世界を一生目の当たりに見ているうちに、時には身の毛もよだつようなむかつきを覚えて、この世を見捨てたくなるのが当然ではあるまいか?そんなとき彼のまなかいに浮かぶのはなんだろう?おそらく死の深淵である場合が多いだろう。しかし他と違った使命を与えられ、そのために運命から特別の扱いを受ける人間の前には、浮世の真実の写し絵そのものが、救済の予兆を秘めたこの世の内奥の相を現わすだろう。そしてこの正夢にも似た写し絵のために欺瞞に満ちた現実世界を忘れていられること、—苦悩にまみれた誠実を貫いてこの世の悲惨を認識した当人は、まさしくこの一事を自らの誠実に与えられた褒美と見なすのである。そんな彼が、その写し絵を書き上げるさいに誤魔化しや欺瞞の手を借りることなど、そもそも有り得ないことであった。
(ヴェネツィア、1882年11月1日「1882年の舞台神聖祝祭劇」)
三光長治監修「ワーグナー著作集5 宗教と芸術」(第三文明社)P366-367

ワーグナー自身の、死の3ヶ月ほど前の論文のあまりの神性!!写し絵たる「パルジファル」の言葉にならぬ凄みを、たとえ前奏曲と聖金曜日だけといえど、いかにルドルフ・ケンペが愚直に、しかも正面から描き切っているか。

ワーグナー:
・歌劇「ローエングリン」
—第1幕前奏曲
—第3幕前奏曲
・舞台神聖祝祭劇「パルジファル」
—第1幕前奏曲
—聖金曜日の奇蹟
・楽劇「トリスタンとイゾルデ」前奏曲とイゾルデの愛の死
ルドルフ・ケンペ指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1958.2.10-13&17録音)

微動だにしない静謐な力。呼吸は深く、まるで時間が止まってしまったかのような錯覚を覚える。どこか官能を削いだ「トリスタンとイゾルデ」は、理知的であり、決して盛り上がることはない。しかし、内燃するエネルギーは確かにあり、聴けば聴くほどケンペのワーグナーへの傾倒が手に取るようにわかる。

「トリスタン」時代のワーグナーのモットーは「諦念」である。家庭のしがらみに拘束されたマティルデと現実に結ばれる可能性はなかったから、彼には「いっさいの願望と欲求に打ち克つ」道しか残されていなかった。そのことを手紙で彼女に訴える彼の筆使いにも意志否定を説くショーペンハウアーの影響がにじんでいるが、「諦念」は「すさまじい戦い」ののちに到達する「至高の」境地をさすと同時に、具体的には男女の交わりを断つことを意味する。
三光長治著「カラー版作曲家の生涯ワーグナー」(新潮文庫)P103

なるほど、ケンペはこの「諦念」を見事に音化したのだろう。
「ローエングリン」からの2曲についても同様。特に、第1幕前奏曲には、冒頭、ヴァイオリンによる「聖杯の動機」から摩訶不思議な力が宿る。

 

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