
ヨーロッパ音楽史における19世紀後半の怒涛の革新。
1865年にミュンヘンでワーグナーの《トリスタンとイゾルデ》が初演され、1871年にはサン=サーンスらが国民音楽協会(La Société Nationale de Musique)を組織し、1874年、実質的に第1回印象派展である画家・彫刻家・版画家無名芸術家協会展、1876年、マラルメの『牧神の午後』上梓、1885-88年『ワーグナー評論Revue wagnérienne』刊行、そして1908年《ボリス・ゴドゥノフ》パリ初演、《火の鳥L’oiseau de feu》(1910)、《ペトルーシュカPétrouchka》(1911)、《春の祭典Le sacre du printemps》(1913、以上3曲いずれもストラヴィンスキー)。この一連の年表に、1912年の《ダフニスとクロエDaphnis et Chloé》(ラヴェル)と《月に憑かれたピエロPierrot Lunaire》(シェーンベルク)を加え、前述のドビュッシーの生涯を考えあわせると、ドビュッシーが生き、彼自身がそれをつくり出すのにきわめて重要な役割を果した、時代の精神的風土というものに、おおざっぱながら一瞥を与えたことになるだろう。
~「作曲家別名曲解説ライブラリー10 ドビュッシー」(音楽之友社)P14
人間の創造力の底なしの力を思う。
思い出すのは、日本が降伏した直後の1945年9月2日、マッカーサー元帥が戦艦ミズーリ号の船上で行った歴史的な演説である。彼はこう語った。
「・・・軍事同盟、力の均衡、国家間の連盟—すべてが次々に失敗に帰した。・・・残されているのは最後の機会だ。・・・課題となっているのは根本的に聖書に関わることであり、信仰の復興や、それによる人間の意識の変革が含まれるが、これは科学のほとんど比類ない進歩と軌を一にするだろう。・・・」
懸命な言葉ではあるが、残念ながら、この信仰の復興は今のところ姿を現す気配はない。
~アーサー・M・エーブル著/吉田幸弘訳「大作曲家が語る音楽の創造と霊感」(出版館ブック・クラブ)viii
エーブルは1958年に没しているので、この言はおそらく戦後10年も経たない頃のものだろうと想像する。それから70年ほどが経過する中で、世界の状況は一層悪化しているかのように思われる。しかしながら、21世紀に入り、一条の光が見えてきているのではないか。お金の時代から徳の時代に移り行く中で、マッカーサーのいう信仰の復興は牛歩ではあるが、前進しているように思うのである。
音楽には神と一体になった信仰の魔力がある。
先に挙げた19世紀後半の音楽史の画期的な進歩、発展はその背景に間違いなく「信仰」があった。少なくともそれを創造する作曲家は天人合一という中で作品を書き上げていただろうことは想像に難くない。
ドビュッシーの心象風景のエロス。
管弦楽のための「映像」(第3集)。
これらはみな標題音楽であるが、客観的な描写を試みたのではなく、映像というタイトルがふさわしいように、作曲者の心眼に映じた印象をまとめあげたものである。
(菅野浩和)
~「作曲家別名曲解説ライブラリー10 ドビュッシー」(音楽之友社)P52
ドビュッシーの空想を音化する技術に舌を巻く。
「映像」第3集が素晴らしい。
ヘーゲルの弁証法的構成からの脱却を画策した(?)ドビュッシーの、後期の管弦楽作品の洗練度合いが素晴らしい(それはまたコラージュとも異なる独自の美しさ)。余分なものが排除され、見事な心象音楽として1世紀以上も愛され続けるのは、彼のイディオムが後のポピュラー音楽につながっているからだろうか。ジャズ音楽、何よりマイルス・デイヴィスからジョン・コルトレーンに受け継がれ発展したモード・ジャズの源泉たるドビュッシーの方法。
「夜想曲」では第2楽章「祭」から第3楽章「シレーヌ」にかけての動から静という流れが堪らない。
ただし、正直シャルル・デュトワは実演でこそその力量を発揮する指揮者だろうと思う。
見事にコントロールされた録音は、踏み外しがない分安心なのだが、活気というか躍動感というか、本来のエネルギッシュな音塊の表出を味わうには少々物足りない感がある。