カチョルのベートーヴェン「オルガン・パースペクティヴ」(2015.4録音)を聴いて思ふ

beethoven_organ_kaczor684悟りを開く前のベートーヴェン。または悟りを開いた直後のベートーヴェン。
何とこれほど多くのオルガン曲を残していたとは知らなかった。
澄んだ音調、敬虔な調べ。興味深いのは「赤子の魂」の如く音楽が可憐なこと。ここには一切の気難しさはない。ましてや闘争もない。
なるほど、「闘争から勝利へ」というモチーフは、後世の学者たちがこじつけたイメージなのかもしれぬ。終始安寧にあり、決してぶつからない心地良さ。そんな印象を「オルガン・パースペクティヴ」という珍しいアルバムに僕は見た。

旧知の友人ヴェーゲラー宛ベートーヴェンの手紙。

おお、ヴェーゲラーよ、わたしが和解のために差し出すこの手を拒まず、あなたの手をこのわたしの手の中にください―おお神よ―だが、わたしはもう何もいいますまい―あなたに会い、あなたの腕の中にわが身を投げかけ、放蕩な友のために嘆願するために参ります。そうすれば、あなたはわたしのもとに、あなたを愛しあなたを決して忘れることのない悔い改めたあなたのベートーヴェンのもとに帰ってくれることでしょう。
(ウィスタン・ヒュー・オーデン著/中矢一義訳「ベートーヴェンについての真実ならざること」)
~音楽の手帖 ベートーヴェン(青土社)P53

神の下、すべてがひとつであることに気づいた楽聖の懺悔の何という清らかさ。

ベートーヴェン:
・アレグロ・ノン・ピウ・モルトハ長調WoO.33(1794?)
・アダージョヘ長調WoO.33(1799)
・アレグレットWoO.33(1794?)
・スケルツォト長調WoO.33(1799)
・アレグロト長調WoO.33(1799?)
・ロンドハ長調WoO.48(1783)
・擲弾兵行進曲ヘ長調Hess.107(1803)
・全長調にわたる前奏曲作品39-1, Hess.310(1789)
・バガテル変ホ長調作品33-1(1802)
・バガテルハ短調WoO.52(1797)
・バガテルイ長調作品33-4(1802)
・バガテルニ長調作品33-6(1802)
・アレグレットハ長調WoO.56(1797)
・バガテルハ長調作品33-5(1802)
・前奏曲ヘ短調WoO.55(1803)
・フーガハ長調Hess.64(1795)
・全長調にわたる前奏曲作品39-2(1789)
・トリオ第1番ト短調(C.P.E.バッハ作、1742)
・トリオ第2番変ホ短調(C.P.E.バッハ作、1743)
・トリオ第3番ホ短調Hess.29(1793)
・フーガホ短調Hess.29(1793)
・3声のフーガニ長調WoO.31(1793)
・4声のフーガイ短調Hess.238-4(1793)
・三重フーガニ短調Hess.244(1793)
・フーガニ長調Hess.237-1(1783)
マリア・マグダレナ・カチョル(オルガン/フェルディナンド・シュティーフェル1786年製)(2015.4録音)

これらオルガン曲がすべて1803年以前のものであることから想像するに、おそらく内なる神を見つけたことがベートーヴェンの創作を加速したのだと思う。宗教というものを超え、形にとらわれなくなったベートーヴェンは、同時に難聴というものを背負い、傑作の森に入っていった。
青春のベートーヴェン。迷いの最中のベートーヴェン。
残念ながら後年のインスピレーションには乏しい。それでも貴重な記録であることに違いはない。

よしや死が来たとしても、僕は満足する。死は果てしなき苦悩より僕を救い出してくれるのではないだろうか。―来たれ、汝の欲する時に、僕は敢然と汝を迎えよう。―さようなら、死後すっかり僕を忘れるようなことのないように。生前僕はおまえたちが幸福になるようにしばしばあれこれと考えたのだ。
1802年10月6日、ハイリゲンシュタットの遺書
~同上書P125-126

このときベートーヴェンには実際は自害の意志はなかっただろう。真に肯定的なエネルギーゆえ。

 

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2 COMMENTS

雅之

>神の下、すべてがひとつであることに気づいた楽聖の懺悔の何という清らかさ。

>宗教というものを超え、形にとらわれなくなったベートーヴェンは、同時に難聴というものを背負い、傑作の森に入っていった。

同感です。

「神」とは、一人一人の心が創り出した幻想だと、私は思います。だから、どんなに偉大な宗教であっても、所詮、元は教祖の妄想であって、突き詰めれば突き詰めるほど、結局は人工的な代物に過ぎないと確信してしまう自分がいます。

宗教の、信者が他人の思想や意見に付和雷同的に同調するするところが気に入りません。時に教祖が見せる奇跡や不思議なことの多くは、タネを見抜けないイリュージョンなどのマジックか、催眠術をかけられ洗脳させられて、信者が錯覚しているだけかも(手品って、本当にタネが見抜けないものですよね)。

そして、私が見る赤が、岡本様には青に見え、ベートーヴェンには緑に見えていたとしても、誰にも検証することはできません。

でも、別に願わなくたって、過去も現在も未来も(この)世界はひとつです。死後の世界が有るのか無いのかは「神のみぞ知る」です(パラドックス!!笑)。

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