その場に居合わせることができた人は幸運だ。
何にせよ歴史的瞬間は美しい。
ヴィルヘルム・フルトヴェングラーが、戦後ドイツ楽壇に復帰した記念すべきコンサートは、大勢の聴衆の熱気に包まれ、開演前から異常な緊張感を伴って始まったそうだ。生憎、残された録音は音質よろしくなく、まして会場となったティタニア・パラストのあまりに乾いた音が興覚めなのだが、それでもフルトヴェングラーの強固な意志と、ベートーヴェンの音楽に内在する悪魔的熱狂が歓喜を呼び、聴く者を興奮の坩堝に巻き込んでいく様が容易に想像され、興味深い(その意味では実に瑞々しい)。
ヴィルヘルム・フルトヴェングラーが、米国軍事政権の保護下でベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮し、勝利の凱旋を行った。オーケストラは第三帝国時代のそれとまったく変わりなく力を発揮した。「エグモント序曲」、交響曲第5番&第6番というオール・ベートーヴェン・プログラム。ナチスの活動家として嫌疑をかけられていたフルトヴェングラーは、スイスで冬の時期を過ごし、ベルリンの同盟国政府による裁判で無罪になるのを待っていたのである。
会場となったティタニア・パラストは、ドイツ人の聴衆と同盟国の聴衆で埋め尽くされた。フルトヴェングラーが指揮台に登場すると、聴衆の半分が立ち上がり、拍手喝采を浴びせた。プログラムの進行につれ、その拍手は徐々に増し、最後には迫真の賞賛になったそこで、拍手の中から「創造主よ、創造主よ!」という声が響いたのである。多くのドイツ人がベートーヴェンではなく、フルトヴェングラーを聴きにやって来たのだ。聴衆はもちろん音楽に満足しているように見えた。同時に、人生の喜びをあらためて見出し、筆舌に尽くし難い大いなる幸福に浸っているようだった。
(1947年5月26日付、ニューヨーク・タイムズ)
熱気と興奮が、翌日の新聞記事からも伝わる。
ヴィルヘルム・フルトヴェングラーのドイツ楽壇への復帰は最重要な意義を持ち、この大きな混乱の時代にドイツ音楽界で活動する音楽家へのアピールとなるだろう。フルトヴェングラーはベートーヴェン・プログラム—ドイツの生んだ天才の巨大な、情熱と牧歌的平和を擁した大自然と人類の一体化の魔法—を携え、我々の前に現われたのだ。
(1947年5月28日付、ターゲスシュピーゲル紙)
すべての人がフルトヴェングラーの復帰を心から願っていた。
人々の前で演奏されたベートーヴェンの音楽の奇蹟。歴史的ドキュメントが録音に残されただけでも何と素晴らしいことか。
ベートーヴェン:
・交響曲第6番ヘ長調作品68「田園」
・交響曲第5番ハ短調作品67
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(1947.5.25Live)
心なしか息が合っていないようなところもあるが、「田園」も第5番も、想像を絶する喜びに溢れている。いかにもフルトヴェングラーらしい、いつもの方法で始まる「田園」第1楽章は相変わらず暗澹たる面持ちだが、楽章が進むにつれ、音楽は魔性と光輝を放つようになっていく。第3楽章から音楽は俄然劇性を獲得し、第4楽章などは忘我の境地の如くの荒々しさ。そして、天国的な悠久を示す終楽章での感情に任せたテンポの激しい揺れは、文字通りひとつになった大自然と人類の証の如し(たぶんフルトヴェングラーも観衆の熱気に押され、興奮状態にあったのだろうと思う)。頂点を迎えた後のコーダの祈りの物々しさが絶品。
有名なグラモフォン盤(5月27日)の演奏があまりに桁外れなので、どうにもそれと比較してしまうのだが、それでも正真正銘復帰後初披露のハ短調交響曲は、内在する焼け焦げそうな悪魔的情熱に満ちており、思わず惹きこまれてしまう。特に、虚ろで重苦しい第3楽章スケルツォの後の終楽章アレグロでの、加速を伴ったエネルギーの圧倒的放出には眩暈がするほど。
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