Bob Dylan “Infidels”(1983)を聴いて思ふ

bob_dylan_infidels704信仰というのは本来ひとつ。それも、外に対するものではなく内に対するものだ。
しかし、それを枠にはめた結果宗教が生まれ、また宗派が生まれ、互いがぶつかり始めた。そもそも信仰とは言葉にならないもの。型に収まることなどないものだ。

ボブ・ディランは結局ノーベル賞授賞式には出席しなかった。しかしながら、代読されたメッセージが発表され、彼がこの賞に感謝の念を抱いていることが明らかになった。その言葉の重みに、あるいは真理に僕は舌を巻く。

シェークスピアが頭に浮かびました。彼の言葉は舞台のために書かれていた。話されるべきもので、読まれるべきものではなかった。彼の一番遠くにある問いは「これは文学だろうか?」だったに違いありません。
10代で歌を書き始めた時、自分の才能がいくらかの名声を得始めた時でさえ、私は大して向上心がありませんでした。異なる文化の、多くの人々に受け入れられたようで、ありがたいと思っています。
~2016年12月13日付朝日新聞

彼は大して欲なく、自らの内的創造欲求に従って音楽を生み続けた。ただそれだけなのである。彼の言葉の背面にあるのは謙虚さ。今回のメッセージにもそのことが大いに感じられる。

Bob Dylan:Infidels (1983)

Personnel
Bob Dylan (guitar, harmonica, keyboards, vocals, production)
Alan Clark (keyboards)
Sly Dunbar (drums, percussion)
Clydie King (vocals)
Mark Knopfler (guitar, production)
Robbie Shakespeare (bass guitar)
Mick Taylor (guitar)

ボブ・ディランが「異教徒」乃至は「無神論者」というタイトルのアルバムをリリースしたのが33年前。これこそ僕が最初に触れた彼の作品だ。当時、一聴、”Jokerman”に痺れた。

So swiftly the sun sets in the sky,
You rise up and say goodbye to no one.
Fools rush in where angels fear to tread,
Both of the futures, so full of dread, you don’t show one.
Shedding off one more layer of skin,
Keeping one step ahead of the persecutor within.

ディランの詩は歌うために書かれたもの。しかし、その言葉の彩は実に難解で、訳出不能。
その音からただただ感じるべし。
そして、素晴らしいのは”I and I”。

I and I
In creation where one’ nature neither honors nor forgives.
I and I
One says to the other, no man sees my face and lives.

天地創造の本来は一だとディランは知っていたのだろうか?
そして、人間は自分のことが一番わからないのだと彼は説くのかもしれない。
宗教という枠を出よとディランはつぶやく。
しかしながら、神の存在そのものを否定するのでは決してない。自らの内なる神をこの頃彼は見出したのだと僕は思う。

ちなみに、ボブ・ディランはその芸名をディラン・トマスから得たという。
なるほど、ディランはディランの詩から確実にインスパイアされているようだ。

 彼は偉大で寓話じみた
親愛なる神の名だたる光のなかへ
 気楽に迷い込むのだ。
道は暗く 場所は明るい、
 けっして存在しなかったし
いつも存在しないだろう天国は
 永久に真実だ、そしてあの木苺の茂る虚空には、
森の黒苺のようにたくさん、死者の数が
 神を喜ばすために増えていく。
「誕生日の詩」
松田幸雄訳「ディラン・トマス全詩集」(青土社)P313

言葉の選び方の革新。何て美しい。

 

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2 COMMENTS

雅之

このメッセージも本心ではないかもしれないですよ。ディランといえども多くの支持者のしがらみの中で生かされているのですから(笑)。

私がメッセージの中で最も共感したのは、むしろ次の部分です。
・・・・・・ぜひお伝えしておきたいことがあります。ミュージシャンとして私は5万人の前でプレイしたこともありますが、50人の前でプレイする方がもっと難しいのです。5万人の観衆はひとつの人格として扱うことができますが、50人の場合はそうはいきません。個々人が独立したアイデンティティを持ち、自分自身の世界を持ち、こちらの物事に向き合う態度や才能の高さ低さを見抜かれてしまうのです。ノーベル委員会が少人数で構成されている意義を、私はよく理解できます。・・・・・・

http://rollingstonejapan.com/articles/detail/27267/2/1/1

そうか、ピアニストのリサイタルに、サントリーホールはやはりデカすぎるってことか!(牽強付会・・・笑)

返信する
岡本 浩和

>雅之様

おっしゃるとおりかもしれませんが、ここは彼のメッセージを素直にとらえておきましょう。(笑)
雅之さんが共感された部分も膝を打ちますね。さすがはディランです。

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