アルゲリッチ&ラビノヴィチのメシアン「アーメンの幻影」(1989.12録音)を聴いて思ふ

messiaen_argerich_rabinovich聖なるアーメン。
しかしながら、これはもっと俗的に読み換えた方がその音楽に見合うように僕には思われる。

Amen has four different meanings:
  Amen, so be it, the creative act.

存在そのものであるとともに、それは生殖行為そのものの表象ではないのか。オリヴィエ・メシアンの音楽は抹香臭さの中にどの瞬間も不思議な妖艶さに満ちる。
当時、恋人同士であったマルタ・アルゲリッチとアレクサンドル・ラビノヴィチの作為ではあるまいに、第1曲「創造のアーメン」から色香溢れる。地鳴りのするラビノヴィチの低音部と鳥の囁きのようなアルゲリッチの弾く高音部の見事な交歓。嗚呼・・・。
続く、強靭な打鍵を伴う慟哭の第2曲「星たちと環のある惑星のアーメン」では、音と音とがぶつかり、弾け、飛ぶ。いかにこの世は生きにくいことか・・・。
そして、第3曲「イエスの苦しみのアーメン」にある希望。世界は苦悩にまみれるが、決して捨てたものはない。

Amen, I submit, I accept. Thy will be done!

すべては必要にして必然。まるでリストのロ短調ソナタの主題が木魂するかのよう。
闇の中でラビノヴィチがもがき、アルゲリッチが手を差し伸べる。ここで女性は一条の光と化すのだ。

Amen, the wish, the desire that this may be, that you would give to me and I to you!

すべては与えることから始まるということか。つまり、自分が何をできたかが重要だということ。第4曲「願望のアーメン」は、ことさらに静かに、そして実にゆっくりと丁寧に僕たちに語りかける。想いを抱くことは素敵なことだ。

・メシアン:アーメンの幻影
アレクサンドル・ラビノヴィチ(第1ピアノ)
マルタ・アルゲリッチ(第2ピアノ)(1989.12録音)

音楽は佳境に入り、第5曲「天使たち、聖人たち、鳥たちの歌のアーメン」では、力強くも穏やかで柔らかい音楽が鳴らされる。可憐な第2ピアノ、勇猛な第1ピアノ。ここではラビノヴィチとアルゲリッチが超絶技巧を競いながらとても美しいアンサンブルを紡ぎ出す。

Amen, that is, that all is for ever, consummated in Paradise.

第6曲「審判のアーメン」にて神々の判断を得、そして第7曲「成就のアーメン」にて世界は解決に向かう。誰もが永遠に天国の人になるには法を得ねばなるまい。それによってすべては救われるのだ。

マルタの本能的な性格をラビノヴィチはどうしても理解できず、総括もしくは概念化することもかなわなかった。彼女がどれほど難しい曲であろうと、それをまったく意識することさえもなく、いともたやすく自分のものにしてしまうので、彼は頭がおかしくなりそうだった。全力をつくしてマルタを自覚の段階へと進ませようとした。調教し、訓練し、枠に填めようとした。彼女は屈しなかった。
オリヴィエ・ベラミー著/藤本優子訳「マルタ・アルゲリッチ 子供と魔法」(音楽之友社)P216

まさにアルゲリッチの性質を表わすかのように、まったく枠に填まらない第2ピアノ。
「成就のアーメン」に聴こえる、東方正教会の鐘の如くの響きはアルゲリッチの真骨頂。
オリヴィエ・メシアンの傑作。

 

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8 COMMENTS

雅之

今年1月下旬、アルゲリッチはパリのユネスコ本部で、世界に蔓延する自国第一主義を「人々を引き裂く」と、厳しく批判していましたね。

>すべては与えることから始まるということか。つまり、自分が何をできたかが重要だということ。

ジョン・F・ケネディの、大統領就任演説の一節みたいですね(笑)。

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岡本 浩和

>雅之様

ユネスコでのアルゲリッチの言葉は知りませんでした。
確かに人々を引き裂くでしょうね。
しかし、それも未来へのプロセスだと思うので、僕は静観しております。

返信する
畑山千恵子

 私もこの件についてブログ「音楽・歌舞伎アラカルト」で取り上げました。www.cahamusic1.jimdo.comでご覧いただけます。1月21日、青山学院大学での日本音楽学会、東日本支部特別例会でハーヴァード大学教授、キャロル・オジャ先生の講演会があり、レナード・バーンスタインを取り上げました。バーンスタインが音楽を通じてどのような社会活動を行ったかを克明にたどり、リチャード・ニクソン大統領への抗議に至った過程がわかってきました。
 バーンスタインが生きていたら、ドナルド・トランプにも抗議したかもしれません。

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雅之

岡本様の自説は別として、自国第一主義については微妙な問題を孕んでいますよね。

私だって日本が隣国の人だらけになったら決していい気分にはならないのが本音ですから、綺麗事が言えた義理じゃないです。

メキシコとアルゼンチンが共にスペイン語圏なのも、アルゲリッチをこの問題で殊更敏感にさせている理由のひとつかもしれません。

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岡本 浩和

>雅之様

おっしゃるとおりですね。同じく綺麗事が言えた義理ではありません。
しかし、突き放した言い方ですけど、なるようにしかならないですから、いろいろと思うところはあれ、黙って事の成り行きを見ていこうと考える次第です。

>メキシコとアルゼンチンが共にスペイン語圏なのも、アルゲリッチをこの問題で殊更敏感にさせている理由のひとつかもしれません。

なるほど、そうかもですね。

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雅之

>しかし、突き放した言い方ですけど、なるようにしかならないですから、いろいろと思うところはあれ、黙って事の成り行きを見ていこうと考える次第です。

岡本様がこういう社会問題でどういうスタンスを取られる性格かは大体わかっていますから、今更何の驚きもありません。

ただ、クラスのいじめを見て見ぬふりをする優等生も、いじめている子と同罪であると、これだけは強く断言しておきます。無論、私も同罪を持つひとりです。

これぞまさしくキリスト教が説く人類の原罪であり、親鸞聖人の「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」です。

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岡本 浩和

>雅之様

静観といっても決して無関心という意味ではないことはご理解いただけていると思うので、反論はございません。
もちろん挙げていただいた状況が目の前に起これば見てみぬふりはしませんし。

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