男というのは実に意気地なしだ。いよいよ納采の儀が決まり、聡子ともそう頻繁には会えなくなった清顕は苦悩する。ある夜、狂おしい思いにかられて綾倉家の周囲をうろついたが、ただそれだけで引き返してしまった。
塀外から辛うじて見える二階の淡い灯が消えたのは、伯爵夫妻が眠りに就いたのであろう。伯爵はむかしから早寝だった。聡子は寝ねがてにしているのであろう。しかしその灯は見えない。清顕は塀ぞいに裏門までまわって、思わず指が、黄ばんで干割れた呼鈴の釦へ伸びようとするのを抑えた。
そして自分の勇気のなさに傷つけられて、我家へ戻った。
~三島由紀夫「春の雪(豊饒の海・第1巻)」(新潮文庫)P343
一方、聡子の、はにかみの背面にある毅然とした魂の重み。命懸けの、本気の恋をする女は滅法強い。まして、為す術のない障害あってこそ。清顕の子を宿した聡子は、蓼科にかく語る。
「このことは、何もかも一切清様にお知らせしてはいけません。もちろん私の体のこと一切ですよ。
お前の言うなりになるにせよ、ならぬにせよ、安心しておいで、他のどなたも容れず、お前とだけ相談して、私が一番いいと思う道を選びましょう」
聡子の言葉にはすでに妃の威厳があった。
~同上書P332
いかにも当時の上流階級にありそうな沙汰だけれど、決してハッピーエンドとはならないその筋書きは、やはりイタリアの偉大なるヴェリズモに近い。歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」での、マリア・カラス扮するサントゥッツァの激しい感情を伴った歌唱は、追い込まれれば追い込まれるほど腹をくくるこの時の聡子の思念と相似だ。
・マスカーニ:歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」
マリア・カラス(サントゥッツァ、ソプラノ)
ジュゼッペ・ディ・ステファノ(トゥリッドゥ、テノール)
ローランド・パネライ(アルフィオ、バリトン)
アンナ・マリア・カナーリ(ローラ、メゾ・ソプラノ)
エベ・ティコッツィ(ルチア、メゾ・ソプラノ)
トゥリオ・セラフィン指揮ミラノ・スカラ座管弦楽団&合唱団(1953.6.16-25&8.3-4録音)
例えば、有名なアリア「ママも知るとおり」での、カラスの歌にみる悶絶の表情。もはやこの告白のパートだけでこの音盤の価値は十分にある。
ご存じでしょう、おお、母さま、
兵隊に行く前には
トゥリッドゥはローラに
永遠の愛を誓ってました。
でも帰って来て、彼女が花嫁となったのを知り、
新しい愛で彼はその炎を消そうとしたのです。
心を焼き尽くしていた恋の炎を
私を愛してくれて、私も彼を愛しました。
だけど、その私の喜びを妬んで彼女は夫のことを忘れ、
嫉妬に燃え・・・、
私から彼を奪ったのです・・・。
私の名誉は失われ、私はひとり残されました。
ローラとトゥリッドゥはお互い愛し合い、
私は泣く、泣くだけなのです!
~オペラ対訳プロジェクト
嗚呼、弦楽器が泣く。
セラフィン指揮スカラ座管弦楽団による「間奏曲」における、狂おしい浪漫を秘めた甘い旋律に、そしてうねる音楽に思わず揺れる。何て熱いのだろう。
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「現実を認めて、受け入れて、それを愛すること」
加藤諦三氏が、かつて私が聞きにいった講演会でおっしゃっていたのが、今も脳裏に焼き付いています。
それこそが「ヴェリズモ」。
>雅之様
良いことおっしゃいますね。
そういえば、1984年ですが、1年間加藤諦三先生の講義を受けました。
必修だったからです。(笑)
残念ながらまったく記憶にございません・・・。