クナッパーツブッシュ指揮バイエルン国立管 ニコライ「ウィンザーの陽気な女房たち」(1957.12.14Live)を聴いて思ふ

ユダヤ人問題に関する私の態度はまったく明白で、次のような事実を指摘することができます。1933年5月すでに私は帝国宰相官邸のヒトラーのもとを訪ね、人間としても芸術家としても秀でた友人のレーオ・ブレッヒが職にとどまれるよう働きかけました。何度かヒトラーの無礼な言動にさらされねばなりませんでしたが、ベルリン州立歌劇場におけるレーオ・ブレッヒの留任が許され、私は満足でした。やましいところはありません。私が反ユダヤ主義的な発言をしたと主張する人たちとは、直に対決させてほしいと思います。
(1945年10月25日付新新聞)
奥波一秀著「クナッパーツブッシュ―音楽と政治」(みすず書房)P172

ハンス・クナッパーツブッシュの二面性。
例えば、舞台神聖祝典劇「パルジファル」に見せる、崇高な、信仰篤い聖なる感覚。一方、ウィンナ・ワルツや「ウィンザーの陽気な女房たち」のような、世界をいかにも茶化した、宇野功芳さんをして「命を賭けた遊び」と言わしめた、堂々たる、一切の衒いのない俗物的思念。そのアンバランスさ(否、それこそバランスと言えまいか)こそが、彼の芸術の神髄であり、聖俗併せ飲むその姿勢に、”わかる”人々は感化されるのである。たぶん、たぶんだけれど、彼の心底に流れるものは人間への純粋な愛情だったのだと僕は思う。

プフィッツナーほど、ナチを激しく憎んでいた人を知りません。われわれ、ウィーンの周辺はすべて、ナチに対する彼の怒りの声を支持していましたし、われわれはだれもがそれぞれ抵抗運動の士でした。捕まらなかったのは、奇蹟のようなものだったのです。
~同上書P176

クナッパーツブッシュの、友人ハンス・プフィッツナーへの擁護の証言を見ても、そのことは明らかだ。どれほど大それた、奇天烈な解釈であろうと、録音を通じてさえも人々に感動を与えるその力量の源泉はヒューマニズムに発されたものだったということだ。

クナッパーツブッシュが得意としたオットー・ニコライのオペラ「ウィンザーの陽気な女房たち」。音質は決して最良とは言えないが、鑑賞に十分耐え得るもので、それこそ「命を賭けた遊び」全開の、茶番劇の音楽的再現の大風呂敷(!)

・ニコライ:歌劇「ウィンザーの陽気な女房たち」
マックス・プレープストル(バス、サー・ジョン・ファルスタッフ)
カール・シュミット=ヴァルター(バリトン、フルート氏)
キース・エンゲン(バス、ライヒ氏)
リヒャルト・ホルム(テノール、フェントン)
パウル・クーエン(テノール、シュペールリヒ)
ルドルフ・ヴュンツァー(バリトン、医師カイウス)
アンネリース・クッパー(ソプラノ、フルート夫人)
リリアン・ベンニングゼン(メゾソプラノ、ライヒ夫人)
リゼロッテ・フェルザー(ソプラノ、アンナ・ライヒ)
バイエルン国立歌劇場合唱団
ハンス・クナッパーツブッシュ指揮バイエルン国立管弦楽団(1957.12.14Live)

シュペールリヒ:
ちょうど今頃だ あの人がよく
この庭をそぞろ歩くのは
たぶんぼくちんはあの人に偶然出会えるだろう
あの人が歩いてくる時に
おお 可愛いアンナ!
だめだ もうこれ以上ぼくちん 待てないや
今日こそ彼女のハートにアタックだ!
がんばれ シュペアリッヒ しっかりしろ!

オペラ対訳プロジェクト

第2幕で、有名な序曲の旋律とともにシュペールリヒの臆病な心情を歌うパウル・クーエンの表現力!あるいは、フェントン、アンナ、シュペールリヒ、カイウスによる小四重唱「ところであの煩わしい求婚者ども」の軽妙な道化。
そして、第3幕冒頭対話の後、ゆっくりと月が昇るシーンで奏される間奏曲の(いかにもクナッパーツブッシュとは程遠い)自然体の様相と続く合唱「おお、甘美な月よ!」の美しさ。また、ファルスタッフ、フルート夫人、ライヒ夫人による小三重唱「時計はすでに真夜中を打ったぞ」から妖精たちのバレエと合唱「音が出ないのか?」の幻想的な音楽に心弾む。

クナッパーツブッシュは厳格だったが、慈しみ深くもあった。練習で彼は最小の労力で最大の成果を得たので、有能な音楽家皆から高く評価されていた。
ミュンヘンの演奏会場でのこと。ブルックナーの第8交響曲のためにわずか1日の練習が予定されていた。クナーは第1楽章を始めたが、途中で止め指揮棒を置き、その特徴的ながらがら声で言った。「皆さん方はこの曲をご存じだ。わしもそうだ。お互い辛いことは止めましょうや。ではまた今夜8時の本番で。」
練習はそれで終わりだった。そしてその夜はいつものように輝かしい成功を収めたのである。

フランツ・ブラウン著・野口剛夫編訳「クナッパーツブッシュの想い出」(芸術現代社) P162

嘘か真か、有名なエピソードだが、いかにもクナッパーツブッシュらしい。1957年末、ミュンヘンはプリンツレゲンテン劇場でのこの「ウィンザーの陽気な女房たち」も、即興風のシーンが他出する生き生きとした名演奏だと思う。

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