人生とはある意味ルーティン。
しかし、まったく同じ日はなく、意味づけによってはどんなときも実はエキサイティング。紆余曲折、また山あり谷あり、嘆くことなかれ。
心しずかに話しかけると、心しずかに答えて下さ
る!
それが僕には無性に嬉しい。
声をあらげて、小言を言ったりすると不思議にあ
なたも
声をあらげて小言をおっしゃる。
「心しずかに」
~堀口大學訳「ヴェルレーヌ詩集」(新潮文庫)P266
すべては鏡なのである。
シャルル・デュトワの棒による「ボレロ」を聴いて、ポール・ヴェルレーヌの「心しずかに」を思った。
続いてヴェルレーヌはかく詠う。
もののはずみで、うっかり僕が、浮気でもしよう
なら
さあ大変!あなたは市じゅう駆けまわりになる、浮
気をしてやろうと。
暫くの間、僕が忠実にしていると、
その間じゅう、あなたも貞淑にしていて下さる。
~同上書P266-267
「目には目を」という精神では何の解決にもならぬ。それこそ「心しずかに」黙認せよということだ。
洗練された響きの中にモーリス・ラヴェルの愛を思う。
果たして日常の彼にそういうものがあったのかどうかは知らない。しかし、少なくとも彼が創造した作品を聴く限りにおいて、これほど奥深い色香を感じる音楽はない。20世紀の奇蹟と言えまいか。
ラヴェル:
・ボレロ
・道化師の朝の歌(管弦楽版)
・スペイン狂詩曲
・舞踏詩「ラ・ヴァルス」
シャルル・デュトワ指揮モントリオール交響楽団(1981.7.9-17録音)
潔いテンポとでも言おうか、一切の無駄なく、しかも情緒連綿とした歌を聴かせるデュトワ指揮モントリオール交響楽団。「スペイン狂詩曲」第1曲「夜の前奏曲」における虚ろでありながら色のある音に思わず心動かされる。あるいは第3曲「ハバネラ」の典雅、また第4曲「祭り」の喜びに人生の機微(捨てたものではない)を思う。音は弾け、リズムは踊り、躍る。
極めつけは「ラ・ヴァルス」!!この感傷的な音楽が舞踊と共に奏されるときの恍惚は何ものにも代え難い。デュトワの湿った棒が音楽に一層の艶を塗る。
入日の最後の光芒は鋭くて矢のようだった
風が来て暮れなずむ睡蓮の花を揺った。
花の大きい睡蓮は芦間にわびしく光ってた
暮れ行く静かな水の上。
湖岸の柳の下かげを、ひとりで僕は歩いてた
胸に痛みを秘めたまま。
湖こめる狭霧から漠とした巨大な影が現われて
わざとらしい羽搏の小鴨の声にことよせて
悲嘆を告げて泣き出した
胸に痛みを秘めたままひとりで柳の下を行く僕に向っ
て。
おりもおり、分厚い闇の死布が
暮れなずむ入日の最後の光芒を、
芦間に残る睡蓮を、
包んで消した、暮れ行く静かな水の上。
「センチメンタルな散歩」
~同上書P34-35
モーリス・ラヴェルが歌う。何と退廃的な音響!!
それにしても堀口大學の日本語の妙に感服!
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三島由紀夫 ⇒ ラヴェル ⇒ 堀口大學 という話題の流れは繋がりが自然でいいですね(笑)。
>雅之様
あまり意識してませんでしたが、その通りかもです。
ありがとうございます。
そして、今日はまた三島に戻ります。(笑)