苦悩の中にこそ光があるのだと思う。
透明であり、内容の奥深いチェロ・ソナタはショパンの晩年(といってもわずか36歳のこと)の傑作だ。
1846年11月1日、ノアンからパリにひとりで帰ったショパンは、そのとき再びノアンに帰ることがないとは知る由もなかった。この頃の手紙には、ジョルジュ・サンドへの言い表すことが困難なほどの想いが並べられる。
暖いあなたの客間、あなたのノアンの美しい雪、若い人たちが、すてきなおもしろい時をすごしていられるのを考えると実にすばらしいです。オーケストラの演奏にむくようなフォークダンスの調べがたっぷりありましたか。
(1846年12月12日土曜日2時半、ノアンのジョルジュ・サンド宛)
~アーサー・ヘドレイ著/小松雄一郎訳「ショパンの手紙」(白水社)P374
昨日いただいたお手紙でわたしはとても幸福になりました。この手紙は、いつものボンボンにストラチイノ(何か不明)と、ボンショーズ夫人のとこのアイスクリームといっしょに新年に届くつもりです。
(1846年12月30日水曜日3時半、ノアンのジョルジュ・サンド宛)
~同上書P375
手紙でしかやりとりのできないあの時代の、何とも言えぬ切なさが行間から伝わる。
チェロ・ソナタの神々しい音楽を傾聴し、心身共に決して万全でないショパンの悲しみといつにない愛情を思う。
それにしてもロストロポーヴィチのチェロのふくよかさ、そして、伴奏するアルゲリッチのピアノの雄弁さ。
ショパン:
・チェロとピアノのためのソナタト短調作品65
・華麗なるポロネーズハ長調作品3
シューマン:
・アダージョとアレグロ変イ長調作品70
ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ(チェロ)
マルタ・アルゲリッチ(ピアノ)(1980.3録音)
第1楽章アレグロ・モデラート、冒頭のピアノの旋律から何という儚さ!
続く第2楽章スケルツォの、負け惜しみのような明るさ。そして、第3楽章ラルゴでは、まるでサンドへの深い情愛を表現するかのようにピアノが歌う。何という美しさ。さらには、終楽章アレグロでの明朗な希望に満ちた音楽!!
ロストロポーヴィチがマルタに抱いた愛情は、妻である歌姫ガリーナ・ヴィシネフスカヤをひどく不快にさせた。マルタとスラヴァの関係は音楽上だけのものではないとの噂が立った。マルタは何も記憶にないと言い張るが、彼のほうがいずれかの手を使って思いをとげたという可能性は否定できないだろう!音楽的にはマルタはどこまでも彼に対して忠実であった。
~オリヴィエ・ベラミー著/藤本優子訳「マルタ・アルゲリッチ 子供と魔法」(音楽之友社)P231
ショパンの音楽が歓喜の中にあり、飛翔する。
作品3のポロネーズも実に愉悦に満ちている。
スラヴァとマルタの間には明らかに具体的な「関係」があったのだろうと僕も思う。
ジャケットのロストロポーヴィチの満面の笑みがそのことを物語るよう(?)。
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私がショパン:チェロ・ソナタの実演で最も感銘を受けたのがこれです。
↓
http://classic.opus-3.net/blog/assets_c/2010/09/arai_yasuyuki_100910-1159.php
http://www.munetsuguhall.com/concert/201009/20100910D.html
ぜひとも岡本様にも聴いていただきたかった名演でした。残念です。
今の私には、演奏会の開始時間や時間の長さ、会場の規模は、あのくらいがちょうどいいです。
>雅之様
>ぜひとも岡本様にも聴いていただきたかった名演でした。残念です。
ご冗談だとは思いますが(笑)、このコンサートは一緒に聴いたじゃないですか!!
素晴らしかったですね。
もう7年近く経つのかと思うと、時の経過の速さにやっぱり驚かされます。
もちろん、悪い冗談でした(笑)。
それにしても、あの時は、半年後に東日本大震災があるなんて夢にも思いませんでしたね。運命とは本当にわからないものです。
>雅之様
>運命とは本当にわからないものです。
同感です。
懐かしい「あのコンサートがそもそも震災前だったことにも驚いております。