波動

とても涼しい(むしろ寒いくらいの)心地よい午前中。いつものようにチベット体操をし、セルフ・ヒーリング。そして、瞑想。今夜は宇宿允人のチャイコフスキーの第5交響曲を聴きに出掛けるのだが、ふと例の「運命の主題」が頭の中を駆け巡る。

ショーペンハウアーは標題音楽を否定し、音楽というものは作曲者の手から離れた瞬間にいわゆる「主観」を離れ、「絶対音楽」として独立した存在になると確か言っていたように記憶する。しかしながら、「音楽」も波動、人間の意識も波動、この世に存在するモノは全て「波動」であるゆえ、作曲者が楽曲を創作したときの状態や意識は「音という波動」に記録されているので、創作者の意識は楽曲と共に永遠不滅なのではないのだろうか。かの哲学者の思想とは相容れず、「音楽」という創造物が「主観」と乖離することは決してないと僕は考える。

ブルックナーが「神に捧げた」永遠不滅にして最期の名作、交響曲第9番を聴く。

ブルックナー:交響曲第9番ニ短調(原典版)
ギュンター・ヴァント指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

過去の自作に対する改訂癖をもっていた作曲者は、晩年この最後の交響曲の作曲を何度も中断した。その結果、フィナーレが絶筆の未完の作となったのだが、アダージョ楽章で終わらざるを得なかったという事実がまた「神の使徒・ブルックナー」らしい。実演では朝比奈隆のライブを何度も、そして記憶に新しいギュンター・ヴァント最後の来日公演でのライブなどをこれまで耳にしてきたが、いずれの場合も襟を正したくなるようなとても「厳しい」波動をもつ、おいそれとは聴けない名曲の名演であった。

久しぶりにこの曲の音盤をかけたが、今朝のようなキーンと空気の張り詰めた日に聴くのはとてもいいように感じる。

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