夜半になると窓辺から吹き抜ける風は早秋を感じさせるほど身体に心地良い。
地球も人間も70%は「水」。生物が生き永らえるためには必要不可欠な「物質」。しかし時に、それは人間に危害を加えるほどの猛威を発する。今年の夏は水害が多かった。
大らかな「海」のように何事にも動じず、そこにあるがままに・・・。
水のように無色透明で、何ものをも受け容れる「素直さ」って大事だが、ときに「災い」まで招くこともある。目の前に通り過ぎる全てをただ受容するのではなく、「正しい」選択のできる「眼」を持ちたいものである。
今から800年も前に書かれた鴨長明の「方丈記」の有名な冒頭部分。
『行く川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しく止とゞまる事なし。世の中にある人と住家すみかと、またかくの如し。・・・』栄枯盛衰、すべては変転しており、どんな状況にも臨機応変に対処できる余裕と知見を持ちたいものである。
決して傲慢になってはいけないが、そこにあるがままの自分自身をもっと信じて動くがよい。
「海」のあと「映像」中の1曲『春のロンド』を作曲しながら、ドビュッシーが出版社に宛てて書き送った手紙には次のような一節がある(前述の鴨長明の随筆と本質的に同じことを述べているように思う)。
『音楽は、その本質上、厳格で伝統的な形式の中に入り込んで流れてゆけるような何ものかではない。音楽は、色とリズムを持った時間とでできています・・・』
その言葉通り、ドビュッシー独自の色で書き上げられた傑作群がパレーの棒の下、活き活きと蘇る。
ドビュッシー:
・第2曲「イベリア」~管弦楽のための映像
・牧神の午後への前奏曲
・海-管弦楽のための3つの交響的素描
ラヴェル
・マ・メール・ロワ
ポール・パレー指揮デトロイト交響楽団
「海」は途轍もなく大きい。時に人を優しく癒し、時に怒り狂うかのごとく人をいとも簡単に飲み込む。ドビュッシーは「音楽」によってその様を見事に描写した。
ところで余談だが、拙宅の近所に日清食品ホールディングスの本社ビルがある。本日はチキン・ラーメンの51回目の誕生日らしい。今となってはもはや食することはないが、「チキン・ラーメン」が妙に懐かしい・・・。
おはようございます。
私も「海」は、ご紹介のパレー盤や、トスカニーニ、カンテルリ、モントゥーなど、どちらかというと硬派の演奏が好みです。しかしコメントも毎回違うことを書きたいので、今朝はドビュッシーを離れまして・・・。
今回の岡本さんのブログ本文、「水」「海」がテーマで、パッと連想した傑作アートをふたつ・・・。
①高田三郎作曲「水のいのち」
http://www.hmv.co.jp/product/detail/1397489
合唱をやる人にとっては、超有名な名曲らしいですね。私は合唱はやりませので、もっぱら愛聴するだけですが、人の一生や悠久の地球の歴史を想わせる、素晴らしい曲だと思います。
第1曲「雨」より
降りしきれ 雨よ 降りしきれ
すべて 立ちすくむものの上に
また 横たわるものの上に
降りしきれ 雨よ 降りしきれ
すべて 許しあうものの上に
また 許しあえぬものの上に
降りしきれ 雨よ
わけへだてなく 涸(か)れた井戸
踏まれた芝生 こと切れた梢
なお ふみ耐える根に
降りしきれ
そして 立ちかえらせよ
井戸を井戸に 庭を庭に
木立を木立に 土を土に
おおすべてを
そのものに
そのもののてに
終曲「海よ」中間部より(宇野さんも褒めている、特に感動的な部分)
おお 海よ 絶え間ない始まりよ
溢れるに見えて 溢れることはなく
終わるかに見えて 終わることもなく
億年の昔も今も そなたはいつも始まりだ
②映画「惑星ソラリス」(アンドレイ・タルコフスキー監督)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%83%91%E6%98%9F%E3%82%BD%E3%83%A9%E3%83%AA%E3%82%B9
深すぎて、DVDで観ると眠くなってしまう、「2001年宇宙の旅」と並ぶSF映画の傑作ですが・・・。
惑星ソラリスの、知性を持つ有機体である「海」・・・、この曲でもバッハのコラール前奏曲が使われていますが、タルコフスキーにとってバッハは「小川」であるとともに「海」でもあり、「水のいのち」だったのでしょうか?
>雅之様
おはようございます。
「水のいのち」と「ソラリス」とは!!
さすがです。
高田三郎作曲「水のいのち」は宇野功芳氏が昔からおススメされている名曲ですよね。ご紹介の福永陽一郎盤は未聴ですが、30年近く前の評論界で「宇野vs福永」という構図が有名だったのを思い出しました。評論においてはお二人はまったく正反対の意見でしたが、演奏でどれくらい個性の差があるのか聴き比べてみたいものです。
それにしても歌詞が素晴らしいです。
「惑星ソラリス」は僕が最も好きな映画の一つです(隠れタルコフスキー・ファンでして・・・)。
タルコフスキーの映画には「火」や「水」がモチーフとしてよく使われますが、この映画におけるコラール前奏曲の使い方は見事ですよね。ぴったりです。「サクリファイス」における「マタイ受難曲」のアリア同様まるでタルコフスキーの映画のために作曲されたんじゃないのかと思わせるほどです。
>タルコフスキーにとってバッハは「小川」であるとともに「海」でもあり、「水のいのち」だったのでしょうか?
そうですね。彼にとってはバッハは自分の中の「自分以上のもの」だったかもしれません。
[…] 盤が復刻され、廉価で店頭に並んでいるのを見つけ、買い求めた1枚。愛聴するポール・パレーのフランスものなどもそうだが、こちらも50年以上前の録音とは思えない生々しさ。大砲や小 […]