クナッパーツブッシュ&ブレーメン州立フィルのベートーヴェンとブラームスを聴いて思ふ

beethoven_2_brahms_4_knappertsbusch_bremenうねり、咆えるハンス・クナッパーツブッシュの演奏の秘密は、その作品の真髄を的確に読み取り、必要ならば楽器の追加など独自のアレンジを厭わず、音楽に一層の生命力を喚起した点にあるだろう。

クナッパーツブッシュは「エロイカ」に指定されている3本のホルンをいつも6本に増やしていました。また、なんとも驚きなのは、第3楽章スケルツォのトリオでホルン・セクションが吹き始める前にはっきりと区切れを入れていたことです。・・・(中略)・・・同じことはハ短調のいわゆる「運命」交響曲にも言えます。クナッパーツブッシュはこの曲でもホルンを倍増し4本に増やしていました。
フランツ・ブラウン著・野口剛夫編訳「クナッパーツブッシュの想い出」(芸術現代社)P95

「呼吸の深い、重厚な足取りの表現」などと表現してしまうといかにも陳腐だ。実際にその音を耳にしない限り、この人の本質は決してわからない。逆に言うと、言葉では絶対に捉え切れない「真理(神も悪魔も)」が宿る音楽なんだ。
1952年12月12日に、ブレーメン州立フィルハーモニー管弦楽団に客演した際の実況録音を聴いて、その思いを新たにした。古びた録音から聴こえてくるのは悪魔の雄叫びであり、神の箴言だ。

・ベートーヴェン:交響曲第2番ニ長調作品36
・ブラームス:交響曲第4番ホ短調作品98ハンス・クナッパーツブッシュ指揮ブレーメン州立フィルハーモニー管弦楽団(1952.12.12Live)

ベートーヴェンのニ長調交響曲のフィナーレに舌を巻く。この、分厚く強烈なスロー・テンポに「必然性」を感じさせるのだからクナッパーツブッシュの音楽性は類稀なるもの。特に、提示部の反復における一瞬のひらめきのような「重み」にひれ伏してしまいそう(明らかに楽聖が目指したものとは異なるだろうが、これこそ至高の「アレンジ」であるといえる)。
そして、ブラームスのホ短調交響曲の、浪漫的かつ主観的な解釈に心震える。フィナーレ冒頭の主題提示の重い足取りに対して、第1変奏の軽快な歩調にクナッパーツブッシュの縦横な感性を垣間見る。第16変奏以降の、切迫した手に汗握る表現はフルトヴェングラーのそれと正反対のものでありながら、同質の精神性を帯びるもの。変奏が進むにつれ俄然テンポが遅くなるところはクナの真骨頂!!

ところで、クナッパーツブッシュがブルーノ・ワルターの後任としてミュンヘン州立劇場管弦楽団にデビューした際のレビューには次のように書かれている。

ブルーノ・ヴァルターの後継者と目されているのはデッサウの音楽総監督ハンス・クナッパーツブッシュ。その彼が昨晩、州立劇場管弦楽団の先頭に立ち、ベートーヴェンの「交響曲第2番」とブラームスの「交響曲第3番」を指揮した。「聴衆をトリコにしやすい」とはいえない二作品である。クナッパーツブッシュは、その若さにもかかわらず、オーケストラをみごとに操れることを示した。オーケストラは、彼の簡素で、しかし表情豊かな指示にすすんで従っていたし、聴衆もすぐに味方に引き入れられてしまった。歓呼の拍手喝采が惜しみなくつづいた。
奥波一秀著「クナッパーツブッシュ―音楽と政治」(みすず書房)P84

若い頃のこの人の指揮は、どちらかというと前進的急進的なものだったようだ。それでも楽員に慕われ、聴衆に敬われ、ベートーヴェンやブラームスの音楽を独自の方法で表現していただろうことに感動する。

ちなみに、バイエルン州立歌劇場宮廷歌手であったパウル・クーエンが「クナッパーツブッシュ讃歌」として著した言葉に彼のすべてが在る。

クナッパーツブッシュがしばしば用いる表現は、上品なものばかりではなかったが、常に的を射ており、どんな人にも誤解の余地のないものであった。しかも彼には法外な人気があった。誰も彼を恨んだりすることはなかったろうし、彼との心からの強調が見出されることはなかった。
フランツ・ブラウン著・野口剛夫編訳「クナッパーツブッシュの想い出」(芸術現代社)P4

 

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