ワインガルトナー指揮ウィーン・フィルのベートーヴェン「英雄」(1936.5録音)ほかを聴いて思ふ

間違いなく刷り込みなのだと思う。
青春時代のあの頃に繰り返し耳にした演奏はずっと色褪せない。
色褪せないどころか、それが基準になり、もはや良し悪しを超え、冷静な判断は不可能。
僕の場合、ベートーヴェンの解釈は、19世紀浪漫を引きずった、20世紀前半の感情過多で濃厚な演奏がいまだに随一。例えば、現代に流行の快速のピリオド的な解釈は、それなりに楽しめるものの、繰り返し聴こうという気にはなれない。
僕は依然として頭が切り替わらない頑固者なのでしょう。

フルトヴェングラーやワルターよりも一世代前のワインガルトナーの演奏は、決して感情に溺れず、とはいえ、トスカニーニのような即物的な熱狂を示すものでもなく、その意味では中庸の、それでいて19世紀末の退廃美や妖艶さを内に秘めた代物だ。古い録音から湧き出る「うねり」は、ウィーン・フィルの美音と相まって「さすが」と唸らせる音楽を奏でる。

聴衆は私の指揮したベートーヴェンの最初の3曲の交響曲を待っているようです。私は、第3番を録音することをお薦めします。・・・
(1934年5月9日付、EMI宛)

この作品(第九)は原語(ドイツ語)で歌われなければなりません。私は、もう71歳なのを忘れないでください。私が死んでしまったら、私のレコードは作ることが出来ません。・・・
(1934年7月29日付、EMI宛)

老齢の指揮者の訴えは実に重い。二の足を踏んでいる暇はないのである。
生きているうちに動かねば。

ベートーヴェン:
・交響曲第3番変ホ長調作品55「英雄」(1936.5.22-23録音)
・交響曲第8番ヘ長調作品93(1936.2.25-26録音)
フェリックス・ワインガルトナー指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

直訴の手紙から2年近くを経て実現された、指揮者の自信をそのまま形にした、一部の隙もない血の通った「英雄」交響曲。なるほど、終楽章アレグロ・モルトの喜びの爆発は、暗雲立ち込める欧州の音楽愛好家に一条の光、希望をもたらしたのではなかろうか?
そして、十八番のヘ長調交響曲。
第1楽章アレグロ・ヴィヴァーチェ・エ・コン・ブリオの、古き佳き時代の香しい響きと気品に満ちる音。また、第2楽章アレグロ・スケルツァンドの、思い入れたっぷりの主題と軽快なリズムの饗宴。そして、第3楽章テンポ・ディ・メヌエットでは、トリオのホルンと木管のやり取りが美しく、恍惚の極み。
終楽章アレグロ・ヴィヴァーチェは、活力に満ちる青年ベートーヴェンのような夢に溢れる音楽で、それをワインガルトナーの老練の棒が一層快濶に爆発力をもって表現することから、この後世界が暗黒の時代に突進していくことを忘れてしまうほど。
なるほど、この録音が行われたその日、遠く離れた極東の地では昭和維新を目論む「二・二六事件」が勃発していたのだった。
嗚呼。

※太字はSGR-8523ライナーノーツより引用

 

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3 COMMENTS

雅之

ワインガルトナー&VPO「エロイカ」は、差し詰め、無農薬で有機栽培の胡瓜の味といった感じですか。マタチッチにも無農薬、有機栽培野菜の味わいがありますね。

(「二・二六事件」との同時代性については、以前コメントした記憶があるので割愛します)

返信する
雅之

  ↑         ↑

七十数億分の一に過ぎない単なる主観(笑)。

返信する
岡本 浩和

>雅之様

>無農薬で有機栽培の胡瓜の味といった感じ

主観結構でございます。
いただくコメントはいつも説得力があり、感銘を受けております。
引き続きよろしくお願いします。

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