録音のせいもあろう、あるいは、僕自身の嗜好の問題もあるのかも、それまでの年に比べて音楽が不思議に生々しい。新鮮味に溢れた、一期一会的な表現。例えば、第3幕冒頭のマルタ・メードル扮するクンドリの慄きひとつとってもそれまでとは何かが違うのだ。
1959年夏のバイロイト。
いよいよ神格化されつつあったハンス・クナッパーツブッシュの「パルジファル」は、終始異様な緊張感を保ち、相変わらずの遅いテンポでありながら一切の弛緩なく、音楽はこの上なく崇高な様相をどの瞬間も示す。
殊に第3幕が素晴らしい。
聖金曜日の奇蹟をこれほどまでにリアルに、そして愛をもって応えた指揮者がほかにいたのだろうか。
グルネマンツとパルジファルの崇高な対話。
道に迷うものを救うパルジファルの覚醒のシーンがいかに感動的であることか。
ようこそ、お客人。
道にお迷いなら、教えて進ぜよう。
わしには、ごあいさつはおひかえか?
はて、これはなにごと。
わしに物を言うまいという誓いに
しばられておられるにしても
わしのほうは、しかるべきごあいさつをせよという
誓いの促しを受けている。
ご到来の当所は、神聖な地域。
武装などして近づくべきところではありませんぞ。
~アッティラ・チャンバイ/ディートマル・ホラント編「名作オペラブックス20パルジファル」(音楽之友社)P125
ジェローム・ハインズ扮するグルネマンツの沈着冷静な表現に舌を巻く。
少なくともグルネマンツには愚者パルジファルこそが救世主であることの、神々との縁があることの確信があった。控え目ながら深いワーグナーの音楽を見事に歌うクナッパーツブッシュの力量。
・ワーグナー:舞台神聖祭典劇「パルジファル」
エーベルハルト・ヴェヒター(アンフォルタス、バリトン)
ヨーゼフ・グラインドル(ティトゥレル、バス)
ジェローム・ハインズ(グルネマンツ、バス)
ハンス・バイラー(パルジファル、テノール)
トニ・ブランケンハイム(クリングゾル、バス)
マルタ・メードル(クンドリ、ソプラノ)
ゲオルク・パスクタ(第1の聖杯騎士、テノール)
ドナルド・ベル(第2の聖杯騎士、バス)
クラウディア・ヘルマン(4人の小姓、ソプラノ)
ウルズラ・ベーゼ(4人の小姓、ソプラノ)
ヘロルド・クラウス(4人の小姓、テノール)
ハラルト・ノイキルヒ(4人の小姓、テノール)、ほか
ハンス・クナッパーツブッシュ指揮バイロイト祝祭管弦楽団&合唱団(1959Live)
パルジファルの芯の素直さとでもいうのか、辛苦を超えての悟りの境地を感じさせるハンス・バイラーの声の透明感。
迷いと悩みの、いろいろな道を、わたしはたどってきましたが、
この森のそよぎを
ふたたび耳にし、
ご高齢のあなたにも、あらためてご挨拶できたので、
つらい道から、いまこそ出られたと思ってもいいようです。
それとも、やっぱり迷っているのでしょうか。
すべてが、すっかり変わってしまったように思われるのですが。
~同上書P127
「選ばれた身」であることに目覚めてゆくプロセスが、クナッパーツブッシュの深い呼吸を伴った悠久の音楽によって見事に紡がれる。
この後に続く「聖金曜日の奇蹟」の音楽にひれ伏す想い。
何という荘厳さ。
何という大きさ。
そして、何という意味深さ。舞台転換の音楽の壮絶さ。
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宗教は、時代が下るに連れて退化しているのではないかと、ふと思いました。それは、仏教、キリスト教、イスラム教の誕生にしても例外ではありません。現在、これらの宗教の、何と無力なことでしょう(一部のイスラム教徒は悪あがきしているだけ)。
日本に仏教が伝来したら、勾玉文化が消失しました。仏教が、古来からある本来の「精霊信仰」や「地霊信仰」などのアニミズムを吹き飛ばしたのかもしれません。・・・・・・この仮説は根が深そうなので書きかけとしておきます(笑)。
>雅之様
おっしゃる通りだと僕も思います。
宗教は完全に形骸化してますよね。
>この仮説は根が深そうなので書きかけとしておきます
ご尤もです。
いずれまたお会いする機会ありましたら語りたいところです。