ジャン=ベルナール・ポミエの「ワルトシュタイン」ソナタ(1991録音)ほかを聴いて思ふ

beethoven_sonatas_pommer523何が「正統」であるかを証明することは僕にはできないけれど、とてもオーソドックスなベートーヴェン。悪く言うと「当たり障りがない」。しかしそれは、誰にもできそうで、できそうにない表現であり、特別な「ありのままの真実だ」と見ることも可能だ。当り前のことを当たり前に描写することはどの世界においても極めて難しい。

ジャン=ベルナール・ポミエを聴いて思った。
歌う「ワルトシュタイン」ソナタ作品53。何と明朗で、確信に満ちた音楽。第1楽章アレグロ・コン・ブリオが煌めく。特に素晴らしいのは第2楽章アダージョ・モルトからアタッカで奏される終楽章ロンドにかけての、突如開眼する如くのカタルシス。
沈思黙考。束縛から解放されるように音楽が一気に明るくなる方法は、第4協奏曲や「皇帝」、あるいはヴァイオリン協奏曲にも通ずるベートーヴェンの発明特許。ロランの称する「傑作の森」における常套は、悟りのベートーヴェンの証だろう。
ちなみに、終楽章のオクターヴ・グリッサンドの箇所を、ポミエはどうやらアルペジオで奏している模様。

また、劇的な「熱情」ソナタ作品57。第1楽章アレグロ・アッサイは果敢にうねる。随所に散りばめられるかの「運命」動機が実に意味深く奏され、音楽はどの瞬間も激しく弾けるのである。そして、第2楽章アンダンテ・コン・モートの澄んだ優しさ。そこからアタッカで奏される終楽章アレグロ・マ・ノン・トロッポの「移り変わり」の瞬間のやはり開放感。悟りの時の如し。

ベートーヴェン:
・ピアノ・ソナタ第21番ハ長調作品53「ワルトシュタイン」(1991.11録音)
・ピアノ・ソナタ第22番ヘ長調作品54(1993.7録音)
・ピアノ・ソナタ第23番ヘ短調作品57「熱情」(1993.7録音)
ジャン=ベルナール・ポミエ(ピアノ)

一層素晴らしいのはロベルト・シューマンがことのほか愛好したというヘ長調ソナタ作品54。2つの巨大なソナタに挟まれたこの小さな2楽章制のソナタが可憐に、自由に、それでいて偏りのないベートーヴェンらしい響きを聴かせるのだからポミエはすごい。
第1楽章イン・テンポ・ドゥン・メヌエットにある癒しの第1主題と激烈な、いかにもベートーヴェンらしい第2主題の対比こそ、内なる対立をひとつにしようと試みる作曲家の本懐。ここには、「ディアベリ変奏曲」の萌芽があるように僕は思う。さらに、第2楽章アレグレットはめくるめく転調を伴う魔法の音楽。

結婚が幸福をもたらすかも知れないということを今度初めて僕は感じている。残念なことにその人は僕とは身分が違う。―それに今のところ―僕は結婚はできまい―僕はまだうんと働かなければならない。耳さえこんなでなかったら地球の半分をとっくの昔歩き尽くしていたろうに。これはどうしても僕が実現しなければならないことだ。自分の音楽を仕上げて世に示すこと以上の大きい楽しみは僕にはない。
(1801年11月16日付、ヴェーゲラー宛)
ロマン・ロラン著/片山敏彦訳「ベートーヴェンの生涯」(岩波文庫)P119-120

悟りの直前のベートーヴェンはいかにも自暴自棄のよう。
しかし、音楽に身を捧げ、それによって世界を救おうとする意志がここにはすでに見え隠れする。
嗚呼・・・。

 

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2 COMMENTS

雅之

ポミエのベートーヴェン:ピアノソナタ全集は、巷での評価が高いけれど、おそらく、ほとんどの日本のクラシックファンはポミエという人物をあまり知らないですよね(私もです)。

演奏家としてのスター性を廃し、ベートーヴェンの裏方に徹することで高評価を得るというのは、極めて高度な職人芸だと思います。

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岡本 浩和

>雅之様

おっしゃるとおりです。
中学生の時、初めて買ってもらったレコードの中にポミエの「ピアノ名曲集」がありました。
東芝エンジェルの廉価盤レーベル「セラフィム」の1枚だったと記憶します。(懐かしい!!)
そんなこんなで繰り返し聴いていたこともあり、ポミエの名前は知っていたのと評判良かったので買って聴いてみましたが、想像以上に素晴らしかったです。

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