苦悩から解放へ

beethoven_5_klemperer_vpo.jpg大学までの道程は遠い。片道2時間近くをかけて移動するのだが、いくつかの文庫本や書籍を携えているにもかかわらず、その間ほとんど読むことがない。電車に揺られながら本を読むのではなく、あれやこれやと様々な思いが噴出する。日頃の鬱積が頭の中を駆け巡るのか、「真実」と「虚構」の間で「何が正しいのか?」を考えに考え、反芻する自分がいる。答え、どちらも正しい。人は矛盾と葛藤の中に生き、常に押し潰されそうになりながらも、都度抜け道を見つけ前に進んでゆくもの。

本日の大学の講義では、「グループディスカッション向上セミナー」と銘打ち、模擬ディスカッションは初めてだという学生諸君を前に、いかに突破するかの秘訣を伝授した。とはいえ、わずか90分。しかも体験実習として2回のワーク。うーん、時間が足りない・・・。

当然帰路も2時間近くかかる。先日の「ワークショップZERO」の個人セッションのため池袋に移動。2時間ほど話しを聴き、アドバイスをする。

誰しも「自由になりたい」のである。でもどうしていいのかわからない。「自分を開放するってどういうことなんだろう?」、「等身大の自分って何?」、そんな風に悩んでしまう。「窮屈」を感じたときがシグナルである。そんなときは発散するのが良い。スポーツで?カラオケで?・・・いや、どれも違う。そういう自分を無条件で受け容れてくれる相手が必要なのである。それは親でも良い。配偶者でも良かろう、もちろん友人でもOKだ。何でも包み隠さず言い合える、そういう人間関係を日頃から構築しておくことが何より重要だ。

解放。こういうときに相応しいのはベートーヴェンの第5交響曲。もはや定番。しかし、この音楽を聴くのはいつぶりだろうか?1年以上は耳にしていないかも。フィナーレの爆発的なカタルシスを思い出すだけでゾクゾクする。

ベートーヴェン:交響曲第5番ハ短調作品67
オットー・クレンペラー指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1968.5.26Live)

beethoven_5_klemperer_vpo_dg.jpgTestamentレーベルからリリースされたウィーン芸術週間のライブ・ボックスからの1枚(以前グラモフォンからも「未完成」交響曲とのカップリングで出ていた)。
クレンペラーの重心は低い。カルロス・クライバーの颯爽としたスマートで鋼のような演奏も好きだが、この押しても引いても揺るがないだろうと思える重戦車の
ような響きが時に恋しくなる。「苦悩から解放へ」。自分が自分であるという証。ユニークな存在、特別な存在であることを思い出せ。そんな声がどこかから聴こえてくる(幻聴だろうが・・・笑)。

ところで、DG盤では録音日が1968.5.25となっているが、どちらが正しいのだろう?ブックレットの表記上では楽章ごとのタイミングも違う。まさか別の演奏だとは考えられないが・・・(きちんと聴き比べして検証すれば良いのだろうが、時間もなく面倒なので)。


4 COMMENTS

雅之

おはようございます。
ベートーヴェンの第5交響曲は、好き嫌いは別にしてクラシック音楽の座標軸の中心でなければならない曲です。いくらバッハやモーツァルトやショパンやブルックナーを知っていても、「運命」(俗称ですが)全曲を一度も熱中して聴き込んだことのないクラシック・ファンをクラシック・ファンとは絶対に認めたくありません(だから岡本さんも「講座」で、必ずこの曲を採り上げてください!)。
ご紹介のクレンペラー&ウィーンフィルのライヴは屈指の名演ですね(おそらくTestament盤表記の1968.5.26が正しいと思います。別演奏ということは考えられないです)。
それにしても、この時代の巨匠の演奏は濃いです。この時代の「働く男」自体が濃かったのでしょうね、少なくとも俗に言う「草食系」ではないですよね(笑) 指揮者は、みんな戦国時代の武将のように、それぞれ個性が強いです。
武田信玄の陣旗、「風林火山」の言葉に例えれば、
疾(はや)きこと風の如く(トスカニーニ)、
徐(しず)かなること林の如く(ワインガルトナー)、
侵(おか)し掠(かす)めること火の如く(フルトヴェングラー)、
動かざること山の如し(クレンペラー)
といったところでしょうか(笑)。
それにこの時代は、オケの側も、ウィーン・フィルにしろベルリン・フィルにしろ、男の奏者だけの世界でした(男子校みたいなものですか・・・、考えてみれば硬派・体育会系ですねぇ 笑)。
今の一流オケは、どこも奏者は男女共学で、技術的に超優秀ですが没個性、指揮者(先生)の指導力・個性も弱くなりましたよね。濃い男の「熱血の時代」は終わったのでしょうか(ゲルギエフでさえ昔の巨匠にくらべれば、小っちゃい、小っちゃい・・・笑)。男女共学って、オーケストラの世界では良いことなのでしょうか? いっそうのこと、プロの指揮者とオケは「大相撲」のように、本来の女人禁制に戻すべきなのでは? (逆に「宝塚」のような、女だけのオケも作ればよいのでは?)
いやいや、全て今の男が情けないのが悪いんです。
逞しい現代の若き女性よ、元気のない男に代わって「自分を開放」し、「等身大」で運命に立ち向かえ!!
http://www.youtube.com/watch?v=PvrWcFMSVww

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岡本 浩和

>雅之様
おはようございます。
いつになく絶好調、絶口調ですね!(笑)。
>「運命」(俗称ですが)全曲を一度も熱中して聴き込んだことのないクラシック・ファンをクラシック・ファンとは絶対に認めたくありません
同感です。しかし、一応クラシックファンを名乗る人でそんなような人はいないようにも思いますが・・・(笑)。
>「風林火山」の言葉に例えれば、
疾(はや)きこと風の如く(トスカニーニ)、
徐(しず)かなること林の如く(ワインガルトナー)、
侵(おか)し掠(かす)めること火の如く(フルトヴェングラー)、
動かざること山の如し(クレンペラー)
座布団5枚!!!さすが雅之さん、上手い表現です!!
フルトヴェングラーもクレンペラーも品行方正どころかプライベートはメチャクチャでしたからね。何人も隠し子がいる指揮者なんてざらだったんだと思います。まさに肉食系!
>男女共学って、オーケストラの世界では良いことなのでしょうか? いっそうのこと、プロの指揮者とオケは「大相撲」のように、本来の女人禁制に戻すべきなのでは? (逆に「宝塚」のような、女だけのオケも作ればよいのでは?)
これも同感ですね。しかし、時代の流れがそれを許さないでしょうねぇ。そ、確かに「男が情けない」んだと思います。

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neoros2019

今日、車で遠うめの距離を乗る時間があったため車中でクレンペラーのウィーン芸術週間のブルックナー5番を通しで聴きました
シューリヒトとウィーンフィルコンビの61`ライブのエロイカやスタジオ録音の例のブルックナーの9番のごとく、まさにウィーンフィルの白熱が半端無い演奏です
ベートーヴェンと同じくかろうじて、ステレオ録音ですが、それより収録レベルは多少劣るかもしれません。
やはりブルックナーの場合どんなに名演奏でもモノーラルであったり六十年代のダイナミックレンジのレベルが低いことは致命傷になっていることは事実ですね
本当に実現しなかった夢に終わってしまいましたが、このウィーンフィルの音色で朝比奈の5番が残されていたら―もしくはチェリビダッケが演奏していたあの水準でのミュンヘンフィルでの朝比奈の5番が残されていたらと悔やまれて仕方がありません

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岡本 浩和

>neoros2019様
クレンペラーのウィーン芸術週間のブル5は超名演ですね。
半端ないと僕も思います。

>このウィーンフィルの音色で朝比奈の5番が残されていたら―もしくはチェリビダッケが演奏していたあの水準でのミュンヘンフィルでの朝比奈の5番が残されていたらと悔やまれて仕方がありません

同感です!!
ただし、朝比奈の場合、慣れたオケでないと最高の名演は生れなかったんじゃないかとも考えます。
その意味では、80年代末のベートーヴェン全集や92年のブルックナー選集は当時の新日本フィルとの良好な関係がもたらしたものだと思うのです。(シカゴのも悪くはないのですが、やっぱり新日本フィルや大フィルのものに一日の長があります)

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