シューマン:幻想小曲集作品12

文学少年であったロベルト・シューマンの音楽作品は若書きのものからすでに文学的要素に満ち溢れており、小難しい説教を受けているように感じる時もあるが、大抵の場合はとても心に響く、少なくとも僕の場合。強いて言うなら「全脳的」アプローチとでも表現しようか。ロゴスとパトスがバランスよく内在し、そのバランスがばっちり決まった時にはとんでもない傑作が誕生する。おそらく晩年のシューマンにおいてはそのバランスがどちらかに偏ってしまうことが多く、自身の現実生活はもちろんのこと、創作物においても種々の問題が表出する、ということが起こっていたんだろうと考えた。

確か僕が人生で最初に感化されたシューマン作品。
「幻想小曲集」作品12。今聴いても最初の一音から引きつけられる圧倒的うねり。第1曲「夕べに」の斬新なポリリズム。そして心震わせる旋律。それこそパトスとロゴスのぶつかりのない「ゼロ」的世界。

昨年6月にとあるコンサートでクララ・シューマンが「夕べに」と「飛翔」への前奏曲、つまり、自身がリサイタル等で夫の作品を採り上げる際にその前奏として弾いたであろう小さな作品を聴いて度肝を抜かれた。それぞれの作品のモチーフを上手に活かしつつ、夫ロベルトへの愛をも見事に音化するクララの創造の力量。ことによるとそれはロベルト以上のものかもと思ったりもするが、何せ作品数が少なく、しかもリリースされている音盤の数も限られている故なかなかその本領を充分に体感できないことが残念でならない(滅多にコンサートなどで採り上げられることもないし)。先の前奏曲など録音されたという形跡もないようなので、本当に残念。とにかくあの音楽を前奏にしての「幻想小曲集」を録音で良いのでもう一度聴いてみたい。それが今の小さな願い(笑)。

2000年にアルゲリッチが久しぶりにソロ・リサイタル(厳密にはプログラムの前半のみ独奏)を開いたときにあわせてリリースされたものなのかどうなのか詳細はすっかり忘れてしまったけれど、久しぶりにコンセルトヘボウ・ライブと称するアルバムを聴いた。

シューマン:幻想小曲集作品12(1978.5Live)
ラヴェル:
・ソナチネ(1979.4Live)
・夜のガスパール(1978.5Live)
マルタ・アルゲリッチ(ピアノ)

シューマンを得意とするアルゲリッチだけれど、この演奏は実に見事。開いた口が塞がらないほどの超絶テクニックはもちろんのこと、語りかけるように始まる「夕べに」の冒頭から、その繊細で可憐な音楽性に舌を巻く。次の「飛翔」の劇的効果はアルゲリッチの真骨頂。

1838年4月12日、「幻想小曲集」作曲中のロベルトは愛するクララ・ヴィークに次のような手紙を認める。

この曲を書き終わってから、ヘロとレアンダーの話を見出して喜びました。知っているでしょう?レアンダーは、毎晩海を泳いで愛する人の待つ灯台までゆくのです。愛する人は松明をかかげて待っているのです。古く美しくロマンティックな伝説です。「夜に」を弾く時、このイメージが忘れられないのです。

まず、彼が海に飛び込む。
彼女が呼ぶ。
彼が答える。
彼が海を泳ぎきり陸へ上がる。
そして、抱擁の歌。
去りがたい別れのとき。
ついに夜が全てを闇に包んでしまう。

貴女も、このイメージが合っていると思えるか、教えてください。

ちなみに、そのまま聴き進んだラヴェル。いや、こんなにすごい演奏だったか・・・。
長い間埃を被っていた音盤だけれど、初めて聴いたときはこんなに感動したか?
白眉は「夜のガスパール」、中でも『スカルボ』の悪魔的音響(今日のところはモーリス・ラヴェルについて考えるのは止しておこう。いずれまた。この人の作品群も底なし沼の如く聴くものを翻弄する・・・、もちろんいい意味で)。それにしてもこの人の指は、いや、頭の回路はどうなっているのだろう?


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