クレンペラー指揮ニュー・フィルハーモニア管のブルックナー交響曲第5番(1967.3録音)を聴いて思ふ

朝比奈御大をして「構成がしっかりしている。音楽ですから、情緒も感情もあるんだけど、そこに流されない。ことに、ブルックナーの交響曲はいい」と言わしめたオットー・クレンペラーのブルックナーでは第5交響曲が断然素晴らしい。
クレンペラーらしい重厚で遅いテンポから繰り広げられる孤高の世界は、実に見通し良く全体観に優れる。すべての楽章が、ひとつひとつのフレーズが緻密に連関する宇宙はブルックナーの真骨頂であり、そこにこそまたこの作曲家の神髄がある。ことに終楽章アレグロ・モデラートは、よくぞこれほど壮大で精密な細密画のような音楽が創造できたものだと感嘆するほどで、ここでのクレンペラーの演奏は雄大かつ壮麗、何度聴いても発見のある、同時に心を揺さぶられる代物だ。

機械と唯物主義の時代にありながら、彼の精神的態度にはドイツ神秘説の素朴な力がみなぎっており、彼の心の奥底に潜む熱情を輝かせている。「感覚的夢想者」(カント)は、彼の「聖なる内的王国」を明示しており、「神の司祭」(J.ベーメ)は、彼の現実離れした世界観―それはまだ山を移すことができるという信仰に霊感を得、豊かに湧き出る「ゲルマン哲学」の精神に満たされている―を予告している。
(ロベルト・ハース/井形ちづる訳「ブルックナーと神秘説」)
「音楽の手帖 ブルックナー」(青土社)P183

ハースの言うように、精神の奥深いところにある霊的なものを、確固とした揺るぎない型に見事に閉じ込めた(?)ブルックナーの天才。クレンペラーの演奏によって僕たちはそのことを一層痛感させられるのだ。

・ブルックナー:交響曲第5番変ロ長調(ノヴァーク版1878年稿)
オットー・クレンペラー指揮ニュー・フィルハーモニア管弦楽団(1967.3.9, 11, 14&15録音)

第1楽章は冒頭から雄大なスケールを保ち、その世界は微動だにせず、それでいて愚鈍に陥らない構成力がものをいう。また、第2楽章アダージョは信仰心に満ち、思わずひれ伏しそうになる威厳を持つ。例えば、第2主題再現での弦のピッツィカートの有機的な響きは実に美しい。

確かなことがひとつある。ブルックナーがきわめて強い、いっときも休まぬ敬虔な心情の持主で、それが彼の信心深い性格の一部をなしていたこと、このため彼はまさしく「神に心寄せつつ」作曲した、ということである。こうした態度から出てきたのが、彼の交響曲におけるコラールであり、厳粛な和声進行、親密な旋律である。
(レオポルト・ノヴァーク/礒山雅訳「ブルックナーにおける交響様式と教会様式」)
~同上書P189

第3楽章スケルツォの間の良さに痺れ、トリオの優美な音楽に(厳格な中にある)ひと時の癒しを覚える。終楽章は本当に絶品。
ノヴァークの言うように、ブルックナーのコラールは特別だ。

 

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