ピリスのモーツァルトK.283, K.284 & K.330(1990.7&8録音)を聴いて思ふ

mozart_sonatas_5_6_10_pires261ときめきのモーツァルト。
ピリスの演奏には、恋するヴォルフガングが映る。K.330第1楽章の愉悦は、ハ長調という開放的な調性と相まって、天才の偽りのない心が透けて見えるよう。

人間の品位はその人の心にあるのであって、ぼくは伯爵ではありませんが、多くの伯爵に優る名誉を身につけていると思います。そして、下僕だろうが伯爵だろうが、ぼくを罵れば、その人こそろくでなしです。

(1781年6月20日付、ウィーンにてモーツァルトからレオポルト宛)
高橋英郎著「モーツァルトの手紙」(小学館)P283

モーツァルトには表裏がない。そして彼の言葉は真理を得て、奥深い。

哀しみのモーツァルト。
ピリスの演奏にはまた、嘆きふさぎ込むヴォルフガングの魂が映る。K.283の、いかにも簡潔に書かれた音楽の内側に、若きモーツァルトの哀惜と慟哭の念が感じられる。

ぼくは音でなら自分の感情や考えを表すことができます。ぼくは音楽家ですから。
「モーツァルト事典」(冬樹社)P39

そして、堂々たる信念のモーツァルト。
ピリスの演奏には、揺るぎない自信に満ちたヴォルフガングの思考が映る。
旅先で見たフランスの作曲家の楽譜に触発され、絢爛豪華なフランスの音楽に負けじと煽るK.284でのヴォルフガングの意気込み。かつてないほど長大なソナタはモーツァルトの挑戦状。
これほどに作曲家の心を素直にとらえ、直接に映える演奏はあまり聴いたことがない。
一切の虚飾を捨て、楽譜に虚心に向かい、まるでモーツァルト自身が演奏するかのようにピアノに対峙するアリア・ジョアン・ピリスの天才。

モーツァルト:
・ピアノ・ソナタ第5番ト長調K.283(189h)
・ピアノ・ソナタ第6番ニ長調K.284(205b)
・ピアノ・ソナタ第10番ハ長調K.330(300h)
マリア・ジョアン・ピリス(ピアノ)(1990.7&8録音)

K.284第1楽章アレグロにおける男性的響き、そして続く第2楽章ロンドー・アン・ポロネーズの女性的な響きの対比の素晴らしさ。妖艶なピリスがモーツァルトにおいてはどういうわけか中性的になる妙味とでも表現しようか。長大な終楽章の変奏曲はモーツァルトの真骨頂であり、ここでもピリスは中庸の、宇宙万物を祝すような音楽を繰り広げる。
とはいえ、白眉はK.330であろう。第1楽章アレグロ・モデラート第1主題に現れるトリルの可憐な歌といったら・・・。
ここだけでも筆舌に尽くし難い魅力。

17歳のモーツァルトは書く。やはり彼が宇宙と一体となって音楽を創出していたことがわかる。

時の好意を思いやり、同時に太陽への敬意をまったく忘れないとき、確かにぼくらはおかげで元気です。でも、その次の文章はまるきり変えて、太陽の代わりにお月様を入れ、好意(グンスト)の代わりに芸術(クンスト)を入れたいものです。
(1773年8月21日付、ウィーンにてモーツァルトからナンネル宛追伸)
高橋英郎著「モーツァルトの手紙」(小学館)P128

 

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