フリッチャイ指揮ベルリン・フィル チャイコフスキー 交響曲第5番(1949.9録音)ほか

戦後、東西分裂したベルリンの未来は誰にも推し量ることはできなかった。
機会は突然巡ってくるものだ。

先の見えないドイツの状況から、特にベルリン封鎖という事態となると、ついにオイゲン・ヨッフムもベルリン・フィルとの演奏会をキャンセルする。彼が1948年12月半ばに、またしても土壇場で出演を取り消したとき、オーケストラとほぼ決定的な亀裂につながった。その結果、若手ハンガリー人指揮者フェレンツ・フリッチャイに幸運が転がり込むことになる。フリッチャイは、ベートーヴェンの交響曲第1番、バルトークの《2つの肖像画》と、彼お得意のチャイコフスキー《悲愴》で、高度な正確さ、まろやかな響き、活気あふれる音楽性を披露して、デビューを飾る。1949年、彼はすでにドイツ・グラモフォンの新しい「イエロー・レーベル」のために、ベルリン・フィルとチャイコフスキーの交響曲第5番を吹き込んでいる。
ヘルベルト・ハフナー著/市原和子訳「ベルリン・フィル あるオーケストラの自伝」(春秋社)P209

熱気満ちる、そして音の破壊力が並みでないチャイコフスキーは、(もちろん指揮者のコントロール下にありながら)当時のベルリン・フィルの主体性を活かした、「歌」に溢れるもの。沈思黙考する第2楽章冒頭アンダンテ・カンタービレ,コン・アルクナ・リチェンツァの暗黒から懐かしい主題が浮かび上がる瞬間のカタルシス。第3楽章ワルツは淡々としていて自然の流れに沿ったもの。何といっても白眉は終楽章だろう。音量を抑え、静かに、そして夢見るように奏される冒頭アンダンテ・マエストーソから火を噴くアレグロ・ヴィヴァーチェ以降の勢いある響きは、若きフリッチャイの真骨頂(コーダの運び方は少々軽快過ぎる印象はあるが)。

チャイコフスキー:
・交響曲第5番ホ短調作品64
フェレンツ・フリッチャイ指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(1949.9.12-14録音)
・大序曲「1812年」作品49
フェレンツ・フリッチャイ指揮RIAS交響楽団(1953.1.14&15録音)
・歌劇「エフゲニー・オネーギン」作品24からワルツ
・歌劇「エフゲニー・オネーギン」作品24からポロネーズ
RIAS室内合唱団
フェレンツ・フリッチャイ指揮ベルリン放送交響楽団(1957.9.10-12録音)

RIAS交響楽団RIAS室内合唱団との大序曲「1812年」は合唱付きのせいもあるのか、少々古臭い印象を醸すが、演奏そのものは生気に満ち、素晴らしい。僕はアンダの追悼文の中にあった回想を思い出す。

私たちは当時まだ若く、彼は20代半ば、私は2~3才年下で、トスカニーニとホロヴィッツよりも、大きな音で速く弾こうと頑張っていたのです! セゲードで私たちがチャイコフスキーのピアノ協奏曲を演奏した折、聴衆の鼓膜は破れんばかりでした。またブダペストにおけるデビュー演奏会の時は、チャイコフスキーの大序曲《1812年》の終わりの部分で、舞台の後ろにある舞踏会場の大きな扉が開き、フリッチャイの軍楽隊が制服に身を包んで現れました。そして緋色の帽子をかぶった隊員たちが、よく磨かれ光り輝く楽器で《マルセイエーズ》を朗々と吹き鳴らした時には、荘厳な会場全体が揺れているのが分かるほどでした!
フェレンツ・フリッチャイ著/フリードリヒ・ヘルツフェルト編/野口剛夫(訳・編)「伝説の指揮者 フェレンツ・フリッチャイ 自伝・音楽論・讃辞・記録・写真」(アルファベータブックス)P225-226

実際はさぞかし皆がぶっ飛ぶような大音響だったのだろうと想像する。しかしながら、古い録音においては残念ながらそこまでマイクがとらえ切っていない。なお、歌劇「エフゲニー・オネーギン」からの2曲は外面的な印象ばかりでインスピレーションに欠ける。

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