ガンゼンハウザー指揮スロヴァキア・フィルのルビンシテイン交響曲第2番「大洋」を聴いて思ふ

anton_rubinstein_2_gunzenhauser373古今東西、数多の名曲が埋もれている。
おそらく僕は初めて耳にする。初めて聴く音楽は当然だけれど新鮮だ。でも、不思議なことにいつかどこかで聴いたことがあるような錯覚にとらわれなくもない。
それは、作品の空似かもしれぬ。あるいはまた、過去に実際に耳にしていたのかもしれぬ。
体験の有無は横に置くとして、音楽が喚起する心象風景、そして事象そのものは実にリアルだ。作曲家の天才は音でいかに情景をうまく描写できるのかにあるのかも・・・。

大河の如く滔々と流れる旋律の奔流。全7楽章、延々80分近くを要する大交響曲の最初の印象。そこにはチャイコフスキーの浪漫に匹敵するうねりがあり(チャイコフスキーの師であるのだから当然か)、後のシベリウスの精神性すらある意味凌駕する崇高さがある。
何という哀愁と、何という懐古趣味!
美しい旋律は北の大地の暗澹たる雰囲気を見事に表現する。
そして、暖かいハーモニーが僕たちの内面を癒し、堂々たるリズムに僕たちは翻弄される。

そう、そう、そうでしたわ。あたし、こういうことがいいたかったんですわ。どうか、びっくりなさらないでね。あたしは相変わらず前と同じ女なんですの・・・でも、あたしの中には、もうひとりの女がいるんですの。あたしにはその女が恐ろしいんですの。その女があの人を好きになったんですの。それで、あたし、あなたを憎もうとしたんですけど、昔の自分が忘れられなかったんです。その女はあたしじゃありませんわ。今のあたしは、ほんとうのあたしですわ。なにからなにまですっかり。あたしはいま死にかかっています。もう死ぬんだってこと、自分でもわかりますわ。あの人に聞いてごらんなさいまし。今でも、もうなにやら大きな錘が、手の上にも、足の上にも、指の上にものっているような気がするんですの。ほら、この指なんて・・・こんなに大きいでしょう!でも、こんなことはもうすぐおしまいになってしまうんですわ・・・ただ一つお願いしたいのは、あたしを許してくださること、なにもかもすっかり許してくださることなの!
トルストイ作/木村浩訳「アンナ・カレーニナ(中)」(新潮文庫)P360-361

何という吐露。アントン・ルビンシテインの交響曲第2番「大洋」を聴いて、その広大で奥深い音楽表現にレフ・トルストイの「アンナ・カレーニナ」を思った。ともかくルビンシテインの情景描写がトルストイの心理描写さながら微に入り細を穿つのである。堪らない。

アントン・ルビンシテイン:交響曲第2番ハ長調作品42「大洋」
スティーヴン・ガンゼンハウザー指揮ブラティスラヴァ・スロヴァキア・フィルハーモニー管弦楽団(1986.12録音)

いつまでも終わることのない「自然と人間の共存」を示す愛の物語などというといかにも赤面してしまうような言い方だが、チャイコフスキーの哀感とラフマニノフの幾分冗長さの拭えない美しさを足して二で割ったような音楽にしばらく呆然となった。
ガンゼンハウザーという指揮者は初めて聴いたが、音作りは実に丁寧かつ緻密。それに何より作曲者への思い入れが十分あるようで、音楽そのもののもつパワーがおそらく幾重にも掛け合わされており、長時間耳にしていてもまったく苦にならない。

例えば、第3楽章アンダンテののどかで優しく、そして朗らかな、いつまでも浸っていたいと思わせる音楽。また、第5楽章アンダンテにみる、チャイコフスキー先取りのロシア的歌謡性に感動。
輝かしい結末を迎える終楽章アンダンテも素晴らしいが、ここまでたどり着くのに相当な根気が要るだろう。それぞれの楽章が単独で成立するだけの標題性があるので、いっそのこと連作交響詩と名乗った方が良かったのでは?

 

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