リヒャルト・ワーグナー同様、ロベルト・シューマンにも一種の毒があるのだと思う。
彼の精神の不安定からもたらされるものなのかどうなのか、明朗な旋律の中に、いつも沈潜する、どこか斜めに構えたような鬱積があり、それがまた好みだという輩があれば、その逆で耐えられないという輩もある。
芸術とはそもそも負から発せられるものゆえ、潜在的狂気というのはむしろ大歓迎。
グレン・グールドが四重奏曲以外を、シューマンの独奏曲を録音しなかったことが惜しまれる。
シューマンのピアノ四重奏曲変ホ長調作品47。
ここでのグールドのピアノは何だか素直で大人しい。
浪漫薫る音楽に内在する幸せ感をありのままに表現する、何とも甘い音調。
もちろんそれは音楽そのものの力によるものだが、ジュリアード弦楽四重奏団員との四つに組んでの演奏は、グールドらしからぬ(否、実はグールドらしいのか?)予定調和の賜物。そこにはいかにもロベルト・シューマンへの愛が宿るのだ。
第1楽章ソステヌート・アッサイ序奏における愛の対話はクララとのそれ。また、主部での旋律の前進性、弾ける喜びは二人の幸福の証。このとき、実際のグールドも確かに幸せだったのだろう。ピアノが歌い、3つの弦楽器が美しく寄り添う。第2楽章スケルツォの切迫するような楽想は、シューマンの内側の危ない面を露にするようだが、ここでのグールドのピアノは作曲家の心に同期するかのように性急(でありながら音楽的に完璧)。そして、一転、第3楽章アンダンテ・カンタービレでの美しく柔和な音楽は、ピアニストも弦楽器も夢心地。グールドの祈りは一層深い。さらに、終楽章ヴィヴァーチェでの、恐ろしいスピードで回るピアニストの指に惚れ惚れ。作曲者の充実が手に取るようにわかる演奏。
シューマン:
・ピアノ四重奏曲変ホ長調作品47(1968.5.9&10録音)
グレン・グールド(ピアノ)
ジュリアード弦楽四重奏団員
ロバート・マン(ヴァイオリン)
ラファエル・ヒリヤー(ヴィオラ)
クラウス・アダム(チェロ)
・ピアノ五重奏曲変ホ長調作品44(1964.4.28録音)
レナード・バーンスタイン(ピアノ)
ジュリアード弦楽四重奏団
ロバート・マン(第1ヴァイオリン)
イシドア・コーエン(第2ヴァイオリン)
ラファエル・ヒリヤー(ヴィオラ)
クラウス・アダム(チェロ)
一方の五重奏曲変ホ長調作品44は、レナード・バーンスタインのピアノ独奏による。
初演直後のクララによる演奏を聴いたワーグナーをして「大変気に入りました。2回演奏してくださるよう奥様にお願いしました。とくに最初の2楽章が生き生きとしていると感じ、第4楽章はもう一度聴くともっと気に入ると思いました」と言わしめたこの作品が、バーンスタインの(専門ピアニスト顔負けの)見事なピアノを得て、文字通り生き生きと再生される。
何より素晴らしいのは終楽章アレグロ・マ・ノン・トロッポ。隅から隅まで音楽はジャズのように躍動し、実に明朗で、また、ジュリアード弦楽四重奏団の、ピアノを包み込むような豊饒な音とアンサンブルが極めつけ。
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近況
夏以降、音楽以外の趣味(特に鉱物、特に今は翡翠や黒曜石の蒐集。それに登山と将棋)にどっぷり浸かってしまっていて、音楽のことの大部分には、いよいよ興味が失せている状況が続いています。
音楽では、安いオーボエを手に入れ、ぼちぼちと奏法を習いながらリード造りに挑戦したりして(難しい!)、オーボエ奏者の日常のごく一部分を追体験してみようとチャレンジしたりもしていますが、とにかく、いかんせん仕事と趣味で忙しく、加えて興味の方向がますますかけ離れてしまい、コメントする気持ちになれないでいます。
深謝。
http://www.hmv.co.jp/artist_Oboe-Classical_000000000056831/item_%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%81%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%9C%E3%82%A8%E3%81%AE%E9%A3%9B%E7%BF%94-%E4%B8%AD%E6%9D%91%E3%81%82%E3%82%93%E3%82%8A-Ob-%E6%96%8E%E8%97%A4%E9%9B%85%E5%BA%83-P-%E9%9C%A7%E7%94%9F%E5%90%89%E7%A7%80-Fg_7869310
>雅之様
ご丁寧にありがとうございます。
趣味が広がり、しかもそれが深化するというのは素晴らしいことです。
気が向いたときにいつでもまたコメントいただければと思います。
またそちら方面にはちょくちょく行っているのですが、なかなか時間が取れず連絡できないでいます。
次回訪問時にはご連絡させていただきます。