名曲喫茶ルネッサンス

genesis_we_cant_dance.jpg時が静止してしまっているかのような空間。若い男性が二人。それぞれ別の席を陣取り、宙を観てただひたすら「音」に向かっている。それに小さな声で申し訳なさそうにおしゃべりに夢中になっている若い女性二人。僕がそのお店に入ったときは懐かしくも円やかな響きで鳴るモーツァルトの音楽以外ひとかけらの物音も立たない静寂で周りが包み込まれていた。みんな真剣である。後から入ってきた中年のサラリーマン二人組も黒板にリクエストを書き込み、ソファーに座り込むなり目を閉じ、まるで瞑想をするかのようにその音楽に没頭し始める。

高円寺の名曲喫茶「ルネッサンス」を訪れた。黄色地に赤い字でただ「ルネッサンス」と掲げられた看板を背に階段を降り、地下1階の店内に入るとそこは昭和の匂い。古びた調度品が並び、真空管アンプと大型のスピーカーが据え置かれ、パチパチという針音を伴った音楽がほど良い音量で流れる。歌劇「魔笛」の序曲が始まったところだった。その後すぐに第1幕の冒頭につながったので全曲盤なのかと思いきや、台詞がカットされた抜粋版のよう。正味1時間のモノラル録音。あえて演奏者を確認しなかったのだが、アナログ・レコードの何ともいえない風情のある音を久しぶりに聴いて心が洗われすっきりとした気持ちになった。今時、名曲喫茶は流行らないのだろう店内の人は数えるほどで、何といってもドリンク1杯400円でいつまでいても差し支えないようだし、食べ物の持ち込みも可能というとだから、場合によっては飽きるまで長居できそうだ。駅近くの流行の外資系チェーンカフェも便利だが、そういうところでは体感し得ない「安心感」がここにはある。

O氏からお借りしているベーム&ウィーン・フィルの1975年来日ライブの実況テープをCD-R化するのに、カセットテープデッキが故障してしまったのでいよいよ修理に出した。1993年頃に購入したSONYのTC-K700Sだが、ほとんど使用していなかったことがモーターの寿命を短くしてしまったのかもしれない。機械というものはほど良い加減で使ってあげないとへそを曲げるらしい。

Genesis:We Can’t Dance

昨日も話題にしたジェネシスの”No Son of Mine”。歌詞カードをじっくり見ながらあらためて聴いてみた。機能不全家庭に育った「僕」は大人になるにつれ「逃げたこと」を後悔する。膝を交えて話し合えるときが必ず来ると信じながらも、実際に父親に会った時にどのように振舞えばいいのかわからないと内心葛藤する。幼少期に受けたメッセージ(直接の言葉であろうとなかろうと)が人に与える影響は極めて大きいのだ。フィルは40歳を超え、自らの心情を歌にして表現することでやっと自身を解放できるようになったのだろうか。

“No Son of Mine”

The key to my survival
was never in much doubt
the question was how I could keep sane
trying to find a way out

僕は自分が生き残ることに
疑問を持ったことはなかった
問題はどうやって正気を保ちながら
抜け道を探すかだった

Things were never easy for me
peace of mind was hard to find
and I needed a place where I could hide
somewhere I could call mine

決して安易なことじゃなかった
心の安らぎなんてそう簡単には見つけられなかった
だからどうしても自分の場所と呼べるような
隠れる場所が欲しかった

I didn’t think much about it
til it started happening all the time
soon I was living with the fear everyday
of what might happen at night

いつもいつもそういうことが起こるようになるまでは
あまり深く考えたことはなかった
しかしまもなく毎日毎夜繰り返される恐怖の中で生活するようになった

I couldn’t stand to hear the
crying of my mother
and I remember when
I swore that, that would be the
last they’d see of me
and I never went home again

母の泣き声を聞くのに我慢ならず
もう二度と僕の姿を見ることはないよと宣言した
それ以来僕は一度も家に帰らなかった

They say time is a healer
and now my wounds are not the same
I rang the bell with my heart in my mouth
I had to hear what he’d say
He sat me down to talk to me
He looked me straight in the eyes

時間が解決してくれると人はいう
確かに今となっては僕の傷は癒えている
僕は怯えながらベルを鳴らした
父の言葉を聞きたかったから
父は僕を座らせじっと目を見つめながら話しかけた

He said:

You’re no son, no son of mine
You’re no son, no son of mine
You walked out, you left us behind
And you’re no son, no son of mine

そしてこう言った
お前なんか俺の息子じゃないよ
俺たちを残して出て行ったんだろ
もうお前は息子じゃないんだ

Oh, his words how they hurt me, I’ll never forget it
And as the time, it went by, I lived to regret it

ああ、何とこの言葉に傷つけられたことか、一生忘れられない
そして時間が経つにつれ、僕の後悔は募るばかりだった


2 COMMENTS

雅之

おはようございます。
名曲喫茶、懐かしいですね。クラシックの名曲喫茶の場合、客の回転率が悪く収益を上げにくいでしょうから、この世知辛い平成の世に存続させているお店の方々には頭が下がります。
それにしても、LP、カセットの音が、音響特性で優れるCDに比べて、遥かに聴き疲れしないのは何故でしょうか。ソニーの技術者の方には、「超能力」より「聴能力」を徹底的に研究していただきたいです。「聴能力」は「超能力」に通じているかも知れません(笑)。
>ジェネシスの”No Son of Mine”
前回・今回の岡本さんの話題でふと思い浮かんだのは、夏目漱石が49歳で亡くなる2年前の大正3年(1914年)、私よりひとつ下の47歳の時に書いた、超有名な名作「こころ」の一節です。
(『中 両親と私』より)
http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/773_14560.html
 一
 宅(うち)へ帰って案外に思ったのは、父の元気がこの前見た時と大して変っていない事であった。
「ああ帰ったかい。そうか、それでも卒業ができてまあ結構だった。ちょっとお待ち、今顔を洗って来るから」
 父は庭へ出て何かしていたところであった。古い麦藁帽(むぎわらぼう)の後ろへ、日除(ひよけ)のために括(くく)り付けた薄汚(うすぎた)ないハンケチをひらひらさせながら、井戸のある裏手の方へ廻(まわ)って行った。
 学校を卒業するのを普通の人間として当然のように考えていた私(わたくし)は、それを予期以上に喜んでくれる父の前に恐縮した。
「卒業ができてまあ結構だ」
 父はこの言葉を何遍(なんべん)も繰り返した。私は心のうちでこの父の喜びと、卒業式のあった晩先生の家(うち)の食卓で、「お目出とう」といわれた時の先生の顔付(かおつき)とを比較した。私には口で祝ってくれながら、腹の底でけなしている先生の方が、それほどにもないものを珍しそうに嬉(うれ)しがる父よりも、かえって高尚に見えた。私はしまいに父の無知から出る田舎臭(いなかくさ)いところに不快を感じ出した。
「大学ぐらい卒業したって、それほど結構でもありません。卒業するものは毎年何百人だってあります」
 私はついにこんな口の利(き)きようをした。すると父が変な顔をした。
「何も卒業したから結構とばかりいうんじゃない。そりゃ卒業は結構に違いないが、おれのいうのはもう少し意味があるんだ。それがお前に解(わか)っていてくれさえすれば、……」
 私は父からその後(あと)を聞こうとした。父は話したくなさそうであったが、とうとうこういった。
「つまり、おれが結構という事になるのさ。おれはお前の知ってる通りの病気だろう。去年の冬お前に会った時、ことによるともう三月(みつき)か四月(よつき)ぐらいなものだろうと思っていたのさ。それがどういう仕合(しあわ)せか、今日までこうしている。起居(たちい)に不自由なくこうしている。そこへお前が卒業してくれた。だから嬉(うれ)しいのさ。せっかく丹精(たんせい)した息子が、自分のいなくなった後(あと)で卒業してくれるよりも、丈夫なうちに学校を出てくれる方が親の身になれば嬉(うれ)しいだろうじゃないか。大きな考えをもっているお前から見たら、高(たか)が大学を卒業したぐらいで、結構だ結構だといわれるのは余り面白くもないだろう。しかしおれの方から見てご覧、立場が少し違っているよ。つまり卒業はお前に取ってより、このおれに取って結構なんだ。解ったかい」
 私は一言(いちごん)もなかった。詫(あや)まる以上に恐縮して俯向(うつむ)いていた。父は平気なうちに自分の死を覚悟していたものとみえる。しかも私の卒業する前に死ぬだろうと思い定めていたとみえる。その卒業が父の心にどのくらい響くかも考えずにいた私は全く愚(おろ)かものであった。私は鞄(かばん)の中から卒業証書を取り出して、それを大事そうに父と母に見せた。証書は何かに圧(お)し潰(つぶ)されて、元の形を失っていた。父はそれを鄭寧(ていねい)に伸(の)した。
「こんなものは巻いたなり手に持って来るものだ」
「中に心(しん)でも入れると好(よ)かったのに」と母も傍(かたわら)から注意した。
 父はしばらくそれを眺(なが)めた後(あと)、起(た)って床(とこ)の間の所へ行って、誰(だれ)の目にもすぐはいるような正面へ証書を置いた。いつもの私ならすぐ何とかいうはずであったが、その時の私はまるで平生(へいぜい)と違っていた。父や母に対して少しも逆らう気が起らなかった。私はだまって父の為(な)すがままに任せておいた。一旦(いったん)癖のついた鳥(とり)の子紙(こがみ)の証書は、なかなか父の自由にならなかった。適当な位置に置かれるや否(いな)や、すぐ己(おの)れに自然な勢(いきお)いを得て倒れようとした。
(以下略)
 七
(中略)
父は死後の事を考えているらしかった。少なくとも自分がいなくなった後(あと)のわが家(いえ)を想像して見るらしかった。
「小供(こども)に学問をさせるのも、好(よ)し悪(あ)しだね。せっかく修業をさせると、その小供は決して宅(うち)へ帰って来ない。これじゃ手もなく親子を隔離するために学問させるようなものだ」
 学問をした結果兄は今遠国(えんごく)にいた。教育を受けた因果で、私(わたくし)はまた東京に住む覚悟を固くした。こういう子を育てた父の愚痴(ぐち)はもとより不合理ではなかった。永年住み古した田舎家(いなかや)の中に、たった一人取り残されそうな母を描(えが)き出す父の想像はもとより淋(さび)しいに違いなかった。
 わが家(いえ)は動かす事のできないものと父は信じ切っていた。その中に住む母もまた命のある間は、動かす事のできないものと信じていた。自分が死んだ後(あと)、この孤独な母を、たった一人伽藍堂(がらんどう)のわが家に取り残すのもまた甚(はなは)だしい不安であった。それだのに、東京で好(い)い地位を求めろといって、私を強(し)いたがる父の頭には矛盾があった。私はその矛盾をおかしく思ったと同時に、そのお蔭(かげ)でまた東京へ出られるのを喜んだ。
(以下略)
明治・大正の世も、昭和の世も平成の今も、洋の東西を問わず、「市井の人々が経験する出会いや別れ、喜びや悲しみ、愛情、友情といった、さまざまな情景」(山下達郎)
http://opus-3.net/blog/archives/2007/07/post-66/#comments
の基本は、驚くほど変わらないものですね。

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岡本 浩和

>雅之様
おはようございます。
「ルネッサンス」は今はなき有名な中野の名曲喫茶「クラッシック」の調度品、LPなどをそのまま再使用して作られたということです。コーヒー一杯で何時間もアナログ・レコードを聴いていられるというのが良心的です。店主もほとんど趣味の領域で、まったく儲けなんて考えてないんじゃないでしょうか?
>LP、カセットの音が、音響特性で優れるCDに比べて、遥かに聴き疲れしないのは何故でしょうか。ソニーの技術者の方には、「超能力」より「聴能力」を徹底的に研究していただきたいです。「聴能力」は「超能力」に通じているかも知れません
おっしゃるとおりですね。やっぱり人の心はアナログなんでしょうね。
夏目漱石の小説はまだ10代の頃に読み耽りましたが、当時は文章の裏側までは読みとっていなかったように思います。「こころ」は学校の教科書にも採り上げられていますし、いつだったか漫画(スピリッツだったかスペリオールだったか忘れましたが)でも短期連載されていたくらいですから、日本人の心を上手に捉えた名作なんだと思います。
ご紹介の部分も今読むとまた違った印象を受けます。何だかまた漱石を読み返してみたくなりました。
>明治・大正の世も、昭和の世も平成の今も、洋の東西を問わず、「市井の人々が経験する出会いや別れ、喜びや悲しみ、愛情、友情といった、さまざまな情景」の基本は、驚くほど変わらないものですね。
ほんとですね!

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