Queen:JAZZ

自分というのは本当は「何者」でもないのだと僕は思う。「私って誰なの?」、特に最近、こういう問いかけをよく見かける(聞く)。先日、直木賞受賞作「何者」(朝井リョウ著)を読んだ。それと、1ヶ月ほど前に「レ・ミゼラブル」を観たけれど、ここでも”Who am I?”というジャン・バルジャンの台詞が出てきた。「カラマーゾフの兄弟」第4話でも涼と園田教授との間で「自分が何者なのか」についての会話があった。
「自分はなぜ生まれてきたのだろう?」
「何をするのがいいのか?」「何をするべきなのか?」あるいは、「何をしたいんだろう?」
それだけ皆自分のことで悩んでいるということ。特に、世知辛い現代の、しかも東京という大都会の中で自らの心身をすり減らして「何かしなければ」と懸命に生きようとする若者に限ってそれは多いように思う。

自分は何者か?
自問しても答は出てこないだろう。要は他人との関係の中でしかそれは意味を為さないから。意識を外に置き、自身と関わる人々を「ひとつ」でとらえて・・・、そういう視点で自分を見つめてゆけば自ずと答は出るのでは。間違いなく。

1970年代後半の英国ポピュラー音楽界はパンクに席巻された。そこにいたミュージシャン、大御所も中堅も、おそらく皆自分たちのそれまでの仕事を振り返り、アイデンティティを見失わないようその先の進み方を考えに考えたことだろう。ザ・フーもストーンズも、ツェッペリンだってそうか・・・(プログレの面々に至っては空中分解するケースも多々あった)、そういう中で新しいアルバムをリリースする。心なしか自己批判を施し、新しい何かをクリエイトしようと躍起になっている、そんな印象を僕は受ける。

そういえば、クイーンも。僕の場合オンタイムではなかったけれど、その昔”Jazz”を聴いて驚いた。6枚目までの彼らとはどうにも異質の世界(に感じられた)。確かにフレディが歌い、ブライアンがギターを弾き、ロジャーがドラムを叩き・・・、そこにあるのは間違いなくクイーンだったけれど、何かが違った。ハードでオペラティックで・・・、そんなのは実はクイーンというグループの一面で、それも勝手に聴く側が作り出したイメージに過ぎないのに、あの頃の僕はまったくこのアルバムに失望した。何でもありの単なるごった煮(あくまで当時の印象)だった。

Queen:Jazz

Personnel
Freddie Mercury (vocals, piano)
Brian May (guitar, vocals)
Roger Taylor (percussion, vocals)
John Deacon (bass guitar)

期待したものが出てこないとがっかりするのが人の常。でも、相手の意図やその趣旨が理解できれば、認め、受け容れることができる。僕は”Jazz”はいわゆるジャズのことだと思っていたが、この言葉、意味は「戯言」や「ナンセンス」ということらしい。なるほど、もとより彼らは「ごった煮」のつもりだったということだ。それがわかって僕のこのアルバムに対する評価は180度転換した。

クイーンの音楽性がこれほどに多様であることをあらためて教えてくれた音盤。
出色はロジャーの”Fun It”。何て黒い・・・。ロジャーのリード・ヴォーカルに途中からフレディが入るあたりはとてもいかす。ブライアンの歌う”Leaving Home Ain’t Easy”のアコースティックな響きが心地良い。それに続く名曲”Don’t Stop Me Now”
後半のこの流れはクイーンの面目躍如たるところ。

人の感覚というのは面白い。十人十色。
そしてまた人は「我」や「思い込み」の生き物だ。
まったくゼロで接することができれば何の問題もないのに。

今宵、久しぶりにクイーンの「ジャズ」を聴いてそんなことを考えた。

4 COMMENTS

みどり

“JAZZ”が来るとは意外でした。

オンタイムではないのに「失望」なさったというのがよくわからないです
けれども、現役だった聴き手は既に“News Of The World”で
驚いてしまっていましたから(笑)、これで失望というのはなかったような。
寧ろ“Don’t Stop Me Now”で、「まだ大丈夫かも」みたいな(笑)。

“Bohemian Rhapsody”や“Somebody To Love”への
愛着が強いのはクイーンのファンであれば至極当然だと思うのですが
クイーンは最初から曲想が多様でしたよね。

当時のファンクラブの会報に
  ロジャーに自作の詩を添えて手紙を出したら返事はこなかったけれど
  “Jealousy”の歌詞がそっくりで、もしかしたらフレディがそれを読んで
  使ったのではないかと思う
という旨の投書が載っていたのが忘れられないです。

岡本さんはその後の作品もお聴きになっていらっしゃるんでしょう?
JAZZで諦めた人は“Play The Game”も“Save Me”も
“Hammer To Fall”も聴けなかったのですから…
何事においても短慮は避けたいものだと思います。

それにしても…フレディの声はこの世に唯一のものでした。
自分がフレディの歳を超えたのかと思うと、何とも。

返信する
岡本 浩和

>みどり様
こんばんは。
意外でしたか!

はい、確かにオンタイムでなかったのにもかかわらず失望したのは「聴き方」なんです。
基本的に僕はバンドの作品を順番に聴いていくように当時しました。その際も、必ず浮気をせず、とにかく順番に・・・。もちろん巷では”Radio Ga-Ga”や”Hammer To Fall”は鳴っていましたが、アルバムは順番になるまで聴きませんでした。
ということで、できるだけオンタイム気分を味わおうとしたのです(笑)。
で、”JAZZ”にきて失望した、ということです。

しかしながら、みどりさんはファンクラブに入られてたんですか!!
これはまた失礼しました。そんな方を前にこういう拙文はお恥ずかしい限りです。

もちろんその後のも聴いてます。少なくともフレディのいるクイーンはどんななってもクイーンで。
まさにあの4人が揃ったからこその奇跡です。

>何事においても短慮は避けたいものだと思います。

同感です、何事もそうだと思います。

>フレディの声はこの世に唯一のものでした。

はい、まったく。唯一無二です。

>自分がフレディの歳を超えたのかと思うと、何とも。

あ、そっか・・・、絶句ですね・・・(笑)

返信する
みどり

いえ、ファンクラブに入っていたのはクラスメートです。
私はBOSTONの布教に従事しておりましたので!(笑)

返信する
岡本 浩和

>みどり様
あー、そういう話を聞くと心底悔しいです。
ボストンの布教ですか!
羨ましい!!
前にも伺いましたが来日ライブも観られてるんですよね。
あああ、羨ましい!!!

返信する

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